Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【私はいない】「私」からの目覚め

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はーい。
どもー。
おはようございます。
タクさんです。

どうにも僕らは、
ちゃんとしなきゃいかん!
って思いすぎなんじゃなかろうか?
なんてね。
思ったりするんです。

ちゃんとってなんやねん!
っていう話ですもんねー。

ちゃんとのタネ。
このタネを持っていれば持っているほど、
ちゃんとしなきゃならない!という思いもまた
たくさん起こってきちゃいます。

なので、このちゃんとのたねを
ちょこっとづつでも良いので、
ぽいっぽいってね。
捨てていっちゃえばいいんじゃないか?

なんかそんな風に思います。
みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?

隙あらば
ちゃんとのタネを捨ててらっしゃるでしょうか?

 

状態を保とうとするのが「私」

まあこの状態という幻想を見せてるもの。
これが「私」なんですねー。
実際は状態なんてものは存在しません。
状態というのは、だいたいの範囲内に収まっているものっていうことですよね。
そよ風は良い感じの風量。その良い感じの範囲がそよ風の状態とあらかじめ決めているんです。
そして、この決めた範囲に収まっていること。
これがそよ風の状態だということですからねー。

でも状態はずっと同じである保証はありません。
良い感じの範囲を超えて風量が増してくると、今度はそよ風から強風へと状態が変わるわけです。
で、この「私」は様々な状態に対して優劣を持っているわけです。
この優劣の高い状態の方に何とか持っていって、優れた状態を保とうとしている。
これが「私」なんですねー。

状態も私もない

そもそもね。
変な話なんですが、ここで出てくる「状態」も、
状態を意味付ける「範囲」も、
そして、様々な状態を良い方向に持っていこうとする「私」も、
おまけに、「良い」というのも「方向」というのも、
これらはぜーんぶ無いものなんですよね。
ホントもう全部単なるイマジネーションなんです。
僕らはとんでもないイマジネーションの世界を作り上げているんですが、
この想像力には、我ながらホントびっくりします。
イマジネーションなので、つまるところ思い込みを頭の中で繰り返しているだけなんです。

全てはある。私(=状態)はない

僕らは、どこかしこに「私の〜」を作ってますよね。
でも私の本体はどこにも無いんです。

私の靴。
私の本。
私の家。
私の車。
私の手。
私の頭。
私の髪の毛。
私の足。
私の身体。
私の心。
私の思い。

もういくらでも「私の」はありますよね。
でも私本体はどこにも無いんです。

私はいない

「私」はない。
だからこそ、
「私」は存在しないからこそ、
何かにくっつかなきゃ存在できないんですよね。
私の身体!とか私の手!
といった感じでねー。

そして、私を守るために、「私の」がくっついたものを
より永続させようとします。
「私」がくっつく先を失うと、私が存在できなくなるからです。
そして、「私」が存在できなくなると頭の中のストーリーが続けられなくなるからなんです。

だから常に状態にこだわるんですね。

「私」からの目覚め

「私」は「私の〜」を使っていろんなものを「私」としますが、
決して「私は〜」では無いんですよね。

私の手であって、私は手では無いんです。

つまり、
手も私じゃ無いし、
足も私じゃ無い。

私の心であって、私は心では無いんですよね。
同様に、
私の身体であって、私は身体ではないんです。

すると、心も体も私では無いということになります。
もうどこにも私はいないんです。

あ、私っていなかったんだ!ってね。知ることがいわゆる目覚めなんです。
つまり、「私」が目覚めるんではなくて、「私」から目覚めるんです

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