Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

考えるということ

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はーい
おはようございます。
タクさんです。

さて、皆さん。
普段から、考えたりされてますでしょうか?

そりゃー考えてるよー。
もう、鬱陶しいことがてんこ盛りやで〜
ってな方もおられるかもしれませんねー。

なんだか不安になる。
嫌な気分にさいなまれる。

これは考えてるからなんじゃないの?
だから考えるのをやめたいんですけど。

という方もおられるかもしれません。

でもこれってねぇ。
考えてると言えるでしょうか?

考えてるというよりは、考えに勝手に巻き込まれてる。
という方が近い感じですよねぇ。

自分が、考えているのであれば、
わざわざ嫌なことを考えなくてもいいわけです。

考えたくもないのに、嫌な思考に苦しんじゃうのは、
自分が考えているのではなく、勝手に考えさせられてる。
と言えるかも知れませんね。

つまり僕らって、自分が考えているつもりになっていて、
実は全然考えていなかったりするんです。

 

勝手に思考があれこれと湧いてきて、
その思考に巻き込まれてしまう。

これねー。
なんでこういう事になっているのかというと、
思考っていうのは、もう僕らが考える前に、勝手に判断しちゃうからなんですよね。
そして、判断されたものに関してあれこれと巻き込まれてしまうわけです。

なんで、そんなおせっかいなことをされてるんだ??
といいますと、これはこれで、必要な機能だからなんです。

僕らは普段、膨大な情報にさらされております。

今、目の前を見ても、手に持ったスマホ。
机の上のコップ。
窓の外の風景。
遠くに聞こえる車の音。
空を流れる雲。
風の感触。
背中の感触。
足の感触。
心臓の鼓動の感覚。
胃の感覚。
コーヒーの匂い。

ま、これだけじゃなく、
書ききれないほどの膨大な情報に囲まれていますよね。
これらの中から、何を判断のまな板の上に乗せるのか?
そして、どのように判断するのか?

これらを一から一つずつやると膨大なエネルギーを使ってしまいます。

なので、ここはもう自動化しているんですよね。

あれこれと考え事が止まらないという場合は、
自動化された考えの中で、答えが見つかっていないもの、
わからないもの。

これらが、しっくりいかないものとして残っているというわけです。

自動的になされた判断ではしっくりいっていないので、
残りながらも、判断は自動判断のままなので、繰り返しのループになっているんです。

さて、
僕らが何かを、ちゃんと考えなきゃいけないときは、
考えたいテーマについて、一旦この自動化された仕組みをバラさなきゃいけません。

これは仕事でもなんでもそうですが、
ちゃんと考えるためには、
一旦、考えをバラして、採用していた判断が、
ホントにあっているのかどうか?を再検討しないと始まらないんです。

では、考えをバラすにはどうすれば良いのか?
というと、まずは何をどのように考えているのか?
ここを明らかにしなきゃならないんですよねー。

これが、自分を観るということでもあるんです。

ただし、これはなかなか自分だけでやるのは難しかったりします。
自動化された判断は、無意識なので、自分では気付きにくいんですよねー。

例えば、
私は普通の人のように仕事ができない!
と悩んでいるとしましょう。

これは、
普通とはなに?
仕事とは具体的には?
もしかしてそれって好きなことじゃないのでは?
嫌いなことができないのは当然では?
そもそもこの仕事、自分がやらなくても良いのでは?

みたいなね。
沢山のツッコミ要素があったりするわけですが、
自動判断の中では、自動に線引きされたライン以上の仕事をしなければならない!
という判断が無意識でなされているので、
これができない自分は何かが決定的に足りないんだ!
みたいな思いにさいなまれるんです。

ここで自動的に採用されている判断。
これはルールのようなものなんですが、
知らないうちに掴み取っているルールに気づく一つのコツは、
「考えていることを書いてみる」
ということです。

もちろん、タクさんセッションを利用して見ても良いんですよ!(笑)

それも良いんですが、ま、書いてみることで、
客観的に考えを眺めることができます。

そして、採用しているルールを観ることができるんです。

ま、人生なんてものはねー。
自分の好きなルールを採用して遊ぶものです。

なので、自分の好きなルールを採用するように気をつけてなきゃいけません。

ここに無頓着でいると、簡単に人のルールに巻き込まれてしまいますからね。

そして、知らない間に、嫌いなルールに巻き込まれ過ぎると、
途端に人生が苦しくなってしまうんです。

なので、自分は何が心地いいのか?何が好きなのか。
そして、ルールは自由に選んでいいんだ。
ということを心に留めておくのをオススメします。

 

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