Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

その苦しみ、“価値基準マッチポンプ”かもしれません。

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

まあ、僕らの悩みって基本的には自分の都合に合わないってことですよねー。
もちろん、この自分の都合っていうのは思考の中で作られたイメージです。

そして、この都合っていうのもある種の価値基準によって作られたものになるんじゃないかなーって思うんですよね。

もちろん、自分の都合に合わないことで悩むのが悪いとかそういうことを言っているんじゃありませんし、価値基準がダメだ!ってわけでもありません。

単に、そうなってるよねーってことなんですが、そもそも価値基準ってなんていうか無いものじゃないですか。

このそもそも存在しない価値基準の枠にむりやり自分を押し込めよう!としちゃうことで苦しんでいるとも言えなくないのでは?って思ったりするんです。

そして価値基準の枠に自分や他人を無理やり押し込めようとすること。
これが思考に巻き込まれるフックになってるんですよねー。

ですので、思考に巻き込まれてしまうってなことに悩んでいる方は、何かしらの価値基準へのこだわりや執着に巻き込まれている。
そしてそのことで悩んでいるとも言えるのかもしれませんね。

自作の苦しみはマッチポンプ?

この価値基準を元に自分を苦しめるってね。
なんていうか、マッチポンプのようにも感じるんですよねー。

だって価値基準ってそもそも自分の思考の中にあるものですよねぇ?
そして、その価値基準を元に自分を苦しめているっていう構造です。

「悩みって自分で望んでるんだよー」って言葉、よく聞きますよね。
言われた側としては「いや望んでねーよ!」って思うんですけど(笑)。
でも仕組み的には、思考が採用している価値判断が「自分の都合」を生み出し、その都合に合わない現実に苦しんでる。
ってな構造を見ると、まあたしかに「望んでる」って言えなくもないのかもしれません。

価値基準は採用されてるだけなんです

まあでも、そんなことないんですよ。
本当のところ「自分が価値基準を選んでる」って話でもないんです。
思考ってのは価値基準がないと働きませんし、そもそもその価値基準って自分で選んでるというよりは、ある種の反応みたいなもので採用されてたりしますのでね。

自分で選んだ価値基準が問題なのかー!って自分を責める必要はありません。

「へぇー。こういった価値基準が採用されてるのかー。」

って、まるで芸術を鑑賞するかのような感じで観てあげれば良いんです。

僕らは本当に思考に巻き込まれているのか?

僕らが思考に巻き込まれている!って感じるのは言い換えると価値基準に巻き込まれているともいえます。

ですが、実際に価値基準に巻き込まれているのは思考です。
そして、この価値基準ってものは、正しさや間違い、正義や悪を付け加えることによってどんどん膨れ上がってくるんですよね。

そうなって、思考だけじゃなく感覚的にも巻き込んでくる。
つまり正義を仇なす存在に怒りを感じたり、不安を感じたりすることで巻き込みが強くなってるという感じなんだと思うんです。

そして、人を自分の価値基準の枠にはめ込もうとしたり、自分をも枠にはめ込もうとして苦しみや分断を作っているわけなんですねー。

そもそも、価値基準ってのは面白がればいいものでして、自分と価値基準を混同しなくて良いんです。

自分も価値基準も思考の中にある同じイメージですのでついつい混同しちゃうんですよねー。
そして、この価値基準を損なうということは、まるで自分が損なわれるかのような錯覚を生むんです。

ですので、そんな感覚に気づいたならちょっと落ち着いて、

「へぇー。こんな価値基準が採用されてるんだねー。」ってな感じで一旦鑑賞してみて、そのうえでこの価値基準って面白がれるのか?ってなことをみてみるといいかもしれませんね。

価値基準もまた、ひとつの思考ちゃんの遊びです。
面白がって眺めているうちに、巻き込まれる力はふっと抜けていくかもしれません。

うほ!そもそもこの巻き込みに「力」なんて存在しないじゃーん!ってな感じでね。

 

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