Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたらしさの表現

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ぼくらは、問題がある!という思いに駆られている間だけ、
あれこれと悩むわけですね。
でね。
解決策を探るんです。

ふいにね。
あ!こうすれば良いんだ!!!
って解決策が降ってくるのを期待しながらね。

この問題が、
人ごとの場合だとしたらどうでしょう。

そりゃ、解決策を探ったり、
もしかしたらこうしたら良いんじゃない??
って手もでてくるかもしれません。

ただ、なんていうか、
同じように考えたり悩んだりするにしても
心の重たさはずいぶん違ってきますよね。

もちろん、人ごととは言っても、
自分の大事な人とそうでもない人だと
感じ方は変わってきますが、

これ、大事な人というのはもう「自分」に含まれてしまっているから、
変わってくるんです。

???

ってなった方もおられるかもしれませんね。

実はね。
「自分」というのは、自分の心や体に限ったものじゃないんです。

そもそも「自分」というものはないんですが、
僕らは何かを認識して掴み取る際に、中心点を定めます。
そうしないと何かを掴みとれないんです。
この中心点に「自分」という概念を据えるんです。

掴み取るというのは、
ひとつながりである全てを、
あえてイメージ上で分離させて、
整理整頓し、
主体と客体を設定する。

ということです。

そして、この主体を自分感覚として捉えるんですねー。

そして本能的にこの自分を守ろうという働きも起こるんです。

この働きについてはなんら問題はありません。
これを消そうとするのは無理ですし
消す必要なんてありません。

こういう仕組みが、自分とは関係のない「自分」という働いているというわけです。

 

でね。
この働きはほっておけば良いんです。

この自分という働きを、別の自分がうまくコントロールしなきゃならない。
ってやってるわけですが、

そう思えば思うほどにね。

心の重たさ。
いわゆる深刻さが増していくんです。

これは、心臓の働きを自分がうまくコントロールしようとしているのと同じようなものです。

「ああ、うまく心臓をコントロールできるかな?」
「もしかしたら、寝ているうちに止まったりしないだろうか?」

「あれ??あれれれ?いまちょっと鼓動のリズムが狂ったんじゃないの??」
「大丈夫かなぁ???」

ってな具合にね。
心配しているのと似た感じです。

どう心配してみたとしても、
心臓の方は、「知らんがな」ということで勝手に鼓動をし続けます。

心臓が初めて鼓動を始めた時。
そこにはコントロールする誰かはいませんでした。

あらゆる働きも、それをコントロールする誰かはいません。

なので、コントロールしようとしてもうまくいかないのは当然なんです。

うまくコントロールしなければと心配するよりは、
あなたの奥の方、あらゆる観念や思い込みよりも奥にある源泉の衝動

この衝動が溢れ出てくる流れを観念や思い込みで邪魔をしないようにだけしておけば良いんです。

どうすれば邪魔になるのか?と言いますと、
イメージである思いにリアル感を付与し、その思いが紡ぐストーリーに深刻になること。

これが邪魔になっているんです。

これらの足枷を取ってあげることで、
あなたにもっとあなたらしい表現が溢れ出て来てくれるんです。

 

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