Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

投影のしくみ

f:id:takuteto:20190819153340j:plain

もうねぇ。
はるか十何年も前になるんですけどねー。

車の教習所に通ってたんですよ。

そこでね。
ちょっと面白いおばちゃんがいてましてね。
免許は持ってるんだけど、あまりに事故をしてしまうので、
教習所に練習しに来てはったんです。

いやいや、免許返上しろよって話なんですけどねー。

まあおばちゃんはものすごく明るい人で憎めない人柄なんですが、
このおばちゃん曰く、
「ぶつかろうなんて思ってないんですけどね!」
「あ!電信柱だ!と思って電信柱を見てると、電信柱の方からぐんぐん近づいてくるのよー!」
「壁があっても、あ!壁だ!と思ったら、もう壁がどんどん近づいて来て、
ガッシャ〜ンッ!よ」

ってねー。

そりゃねー。
あかんのですよ!
車の運転では、進行方向の方を見てなきゃダメですのでねー。

障害物を見ながらハンドル切ってアクセル踏んだなら、
そりゃー、ぶつかっちゃいます。

障害物を避けた先の方を見なきゃダメなんですよねー。

車は見てる方向に向かって進むんです。

でもねー。
面白いものでね。
僕らも進行方向に向かって歩いてるつもりになってますよねぇ。
でもね。
その見えてる進行方向ってね。
どこにあるのか?というと自分の中なんですよねー。

僕らは自分の中にイメージを作り、
そのイメージを外側へ投影するんです。

というわけでねー。
今日はこの辺のことについて書いてみたいと思います。

 

僕らはねー。
基本的に見たいものを見てるんですよね。

えー!見たくないことも見てるんですけど!
って反論したくなっちゃうものですが、
ここでいう見たいもの。というのは、
いわゆる「こだわり」や「信じていること」
と言っても良いかもしれません。

ここでいうこだわりは、言葉になっていないこだわりです。
なので何とも表現しにくいのですが、

このこだわりを通して、世界に対するイメージを作り上げ、
それを「自分の中の」外部に投影するんです。

投影された外側の世界を僕らは知覚して受け取り、解釈を加えている。
というわけですねー。

みなさんも心当たりがあると思うんですけどね。

物事のとらえ方を良いようにとらえなさい。
そしたらポジティブになれるよー。

ってやろうとしても、全然うまくいかない。

「くはー、このムカつくことを良いようになんてとれないよー!」
「まだまだ自分は修行が足りないなぁ。」

ってなことがありますよねぇ。

これね。
もう自分のこだわり。
いわゆる枠組みのようなもの。

これがもう自分の中にあり、
この内部のこだわりの仕組みによって
つじつま合わせをしているだけ。
このつじつま合わせとして外部に投影しているわけでして、
自分で投影したものを受け取る段階で、
この受け取り方を変えるなんてできないわけです。

なんて言いますかねー。

今から、ドラえもんの絵を描きます。
といって、自分で絵を描いた後に、
この絵をたぬきとしてとらえよう!としても無理なんです。

でね。
ここで元になっている、言葉にならないこだわり。
また、こだわりによって作られる枠組み。

これらをより集めたもの。
これが作られた幻想の「自分」というわけでして、
この「自分」がもつ不足感。

これが、苦を外部への投影として演出しているというわけなんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com