もうねぇ。
はるか十何年も前になるんですけどねー。
車の教習所に通ってたんですよ。
そこでね。
ちょっと面白いおばちゃんがいてましてね。
免許は持ってるんだけど、あまりに事故をしてしまうので、
教習所に練習しに来てはったんです。
いやいや、免許返上しろよって話なんですけどねー。
まあおばちゃんはものすごく明るい人で憎めない人柄なんですが、
このおばちゃん曰く、
「ぶつかろうなんて思ってないんですけどね!」
「あ!電信柱だ!と思って電信柱を見てると、電信柱の方からぐんぐん近づいてくるのよー!」
「壁があっても、あ!壁だ!と思ったら、もう壁がどんどん近づいて来て、
ガッシャ〜ンッ!よ」
ってねー。
そりゃねー。
あかんのですよ!
車の運転では、進行方向の方を見てなきゃダメですのでねー。
障害物を見ながらハンドル切ってアクセル踏んだなら、
そりゃー、ぶつかっちゃいます。
障害物を避けた先の方を見なきゃダメなんですよねー。
車は見てる方向に向かって進むんです。
でもねー。
面白いものでね。
僕らも進行方向に向かって歩いてるつもりになってますよねぇ。
でもね。
その見えてる進行方向ってね。
どこにあるのか?というと自分の中なんですよねー。
僕らは自分の中にイメージを作り、
そのイメージを外側へ投影するんです。
というわけでねー。
今日はこの辺のことについて書いてみたいと思います。
僕らはねー。
基本的に見たいものを見てるんですよね。
えー!見たくないことも見てるんですけど!
って反論したくなっちゃうものですが、
ここでいう見たいもの。というのは、
いわゆる「こだわり」や「信じていること」
と言っても良いかもしれません。
ここでいうこだわりは、言葉になっていないこだわりです。
なので何とも表現しにくいのですが、
このこだわりを通して、世界に対するイメージを作り上げ、
それを「自分の中の」外部に投影するんです。
投影された外側の世界を僕らは知覚して受け取り、解釈を加えている。
というわけですねー。
みなさんも心当たりがあると思うんですけどね。
物事のとらえ方を良いようにとらえなさい。
そしたらポジティブになれるよー。
ってやろうとしても、全然うまくいかない。
「くはー、このムカつくことを良いようになんてとれないよー!」
「まだまだ自分は修行が足りないなぁ。」
ってなことがありますよねぇ。
これね。
もう自分のこだわり。
いわゆる枠組みのようなもの。
これがもう自分の中にあり、
この内部のこだわりの仕組みによって
つじつま合わせをしているだけ。
このつじつま合わせとして外部に投影しているわけでして、
自分で投影したものを受け取る段階で、
この受け取り方を変えるなんてできないわけです。
なんて言いますかねー。
今から、ドラえもんの絵を描きます。
といって、自分で絵を描いた後に、
この絵をたぬきとしてとらえよう!としても無理なんです。
でね。
ここで元になっている、言葉にならないこだわり。
また、こだわりによって作られる枠組み。
これらをより集めたもの。
これが作られた幻想の「自分」というわけでして、
この「自分」がもつ不足感。
これが、苦を外部への投影として演出しているというわけなんです。