生きるのには、いろいろと苦労しまっせー。
なんてね。
思ったりもするもんですが、
でも、実際に、今、生きていることに関しては、
なにかしらの努力があるのか?
と言いますと、
そんなん無いんですよねん。
同様に、
今、ここにいること。
そのことに関してもなんら努力があるわけではないんです。
今、ここで、リラックスすること。
これに関しても何かしらの努力が必要なわけじゃありません。
何かしてることをするのをやめたらリラックスなわけですからね。
なので、一所懸命、ワークをしたり修行をしたり、
いろんな話を聞きまわって何かを身に着けたりとかね。
そーゆうのとは関係ないんですよね。
自分で見て確かめてみるしかないんです。
僕らは「それ」から離れることはありません。
「それ」とは何かしてることを徹底的に置いておくことによって残るモノです。
「それ」は置いておくこともやめることも出来ません。
でね、置いておくこともやめることも出来ない「それ」を垣間見た時、
そこに行為者がいないことに気づくんですよね。
生きる誰かがいるわけじゃなかったんです。
生そのものが、「それ」であり、「それ」しかないんですね。
行為者がいないとなると、もう中心点もなくなります。
中心点がないと、何かを掴むとる意味がなくなるんです。
ありゃりゃ、最初っからそのまんまで、そのまんま以外の何かがあるわけじゃないんやん。
って気づくんです。