Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

しんどさの正体

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毎日楽しくて、ルンルンやったらもう「それ」とかどうでもいいと思うんですよ。
なんかしんどいからどうにかしたいと思った先に辿り着いたりしてる人も多いんとちゃうかなと思うんです。

今は特別しんどいこともないとしてもね。
生きてたら泣きたいことだってたくさんあるわけじゃないですか。
毎日ルンルンでいきたいのに、なんでできへんねん?
っていう疑問もあるとおもうんですよね。

そういうところから非二元に興味を持っとる人も多いと思うんです。

わかったら楽になれるんちゃうか?ってね。

 

でもまず、なんでしんどいねん?
ってところを見てみるといいと思うんです。
思いっきりハショッちゃいますと、行き着くのは自分への不信感なんです。
多分何かしらの不都合だと思うことがあって、


それがあることが具合が悪いという思いがあるわけなんだと思うんですけど、

そんな不都合があって大丈夫やん!別に良いやん!
とならないのは、それだと自分が毀損されると思ってるからでして、

自分は絶対に大丈夫っていうことが信じられていない。
ということなんです。

ホントは絶対に大丈夫なんですけど、そう思えない分だけ不信感となるんです。

これは、絶対に大丈夫だっていう部分が確かじゃないから不信感が生まれているわけですのでねー。

つまりは、自分に対して盲目になっとるんですな。

自分への不信感は世界への不信感と同じことになります。

「それ」への不信です。

なぜなら、世界、そして「それ」は自分自身やからです。

失ったりしませんが、失うんちゃうか?って思うわけです。

じゃあこの不信感ってどこから生じとるのか?
といいますと、
分離の概念から生じとるんですよねー。

分離をすることによって完全じゃなくなる。
足りないモノとなるからです。

全てが自分ですが、その中で身体を自分やと定義づけると、身体は傷つき老いていきますので、自分が毀損されるように感じたりするわけです。
そのほかにも心情とか、思考とかも自分と定義づけたりするパターンもあります。

すると違う心情に出会うと自身の心情が毀損されるように感じたりすることもあります。

そうやって、個別に定義づけられた自分に対して、
その自分が損なわれそうになると、ヤバイと思っちゃうわけなんです。

全てが失われるっていう恐怖感がそこに在るわけです。

全てであるそのものを、分離させた部分だけに概念上で適応させるもんですから、
この部分が毀損されると全てが終わる!という思いに取りつかれたりするんです。

毀損される!
ヤバい!
っていう思いがそもそもの勘違いなんやでーっていうのは、
そういうことなんですよねー。

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