Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

人は生まれながらに罪を背負っているだとぉ??

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人は生まれながらに原罪を背負って生まれてきてます。
なので、あなたが今、地球に生まれているというだけで
すでに罪を背負っているのです。。。

あ、私ですか?
わたしは第777星系の「高次元」の存在ですの、、、
オッホッホッホ。
つまり私は地球の方々よりも、高い波動ですの。。。
オホホホホホ。。。

あなたの波動が低い証拠に、
あなたの奥底を探ってごらんなさい。

不親切だったり、不寛容だったり、
不安だったり、焦燥だったり、
そういった感情が少しだけでもございますでしょう?

それが、あなたが、まだまだ、
ワタクシほど高い波動じゃない証拠ですのよ。

おーっほっほっほっほ!!!!!

あなたは、これらの黒ーい、低〜い波動を浄化しなければなりませんの。
そうやって地球全体の波動をあげる使命がございますの。

わたしは、そういった小さなゴミムシども、、、
おっと、そうじゃなくて
地球の子供達、可愛い子羊たちを導くためにこうやってメッセージを送ってるんですの。。。

おーっほっほっほっほ!

あなた方、地球人の戦闘力、、、じゃなかった波動の高さは
せいぜい10とか20程度、
かなり頑張っても数千ってレベルですが、

私の戦闘力、、、、じゃなかった、、、波動の高さは530000です…ですが、
もちろんフルパワーであなたと戦う気はありませんからご心配なく…

 

お早うございます。
タクさんです。

なんか、途中からフリーザさんが出てきたような感じになりましたが、
皆さまいかがお過ごしでしょうか?

今日は不要な罪悪感について書いてみたいと思います。

なーんていうのかなー。
スピ系とか宗教系?占い系??高次元の存在系??
とかに多いのかもしれませんが、

生まれながらに罪を背負ってる


的な考え方??

生きてるということはそのままそれがカルマ?

みたいな考え方があったりするんですよねー。

全部じゃないですけどね。

なんか、あなたがこの次元に生まれてきていることが、もうすでに神ではなくて、神以下の存在であるわけでして、生まれてきてるからには、何かしらの低い波動がある。

みたいなことを押し付けてくるような考え方なんですわ。。。
僕も何度かそんなニュアンスのことを聞いたり言われたりしたことがありましてね。。。

そうすると、不要な罪悪感を抱え込んじゃったりして、、、
そうか、まだ自分は何かが足りない存在なんだ。
益々、自分を清らかにして、それそのものに近づけていかなければ!
みたいな、変な考えに執着しちゃったりして、、、。

ま、これも冒頭のような変なおっさんの物語と同様でございましてね。
ドラゴンボールの物語となんら変わりがないわけでございます。

つまり物語だというわけですね。

そもそもね。
心の奥底にやましいことはないですか??
なんてねー。

そんなん誘導尋問ですやん。

そう言われるとそういった判断のもとにそういうの探してしまいますやん。

っていうか、作ってしまいますやん。

てなもんです。

そんなん、あんたかって高次元なんやったら、
なんでわざわざ、
私、高貴ですねーん。みたいな面してやってきてますのん?
なんで高い存在とか、自分で名乗ってますのん?
同じ次元に友達いてませんのん?

僕らを導かなきゃダメなんだとしたら、導かれなければ何か困ることがありますのん?
それって、誰の都合ですのん?
それとも、勝手なルールの押しつけですかいな??

てなことでしてね。

ま、もちろん自分の中の探求は良いと思うんです。
癒やしや解放をするのも大賛成なんですけどね。

そこに妙な罪悪感は必要ないどころか邪魔なんですよね。

そうやって癒やしや解放を罪悪感を持ってやってたとすると、
それをやってない他人の中に罪を見てしまう。
みたいなね。

そんな変な観念を持ってしまう危険性もございますのでね~。

どんなことをやってもいいですが、それが優れているということはございません。
ましてや競争でもございません。

金儲けしてるアイツは下賤で、精神修行、スッピリチュアルをやってる私は上級国民ですねん。
なんてことはありえないわけですのでねー。

清らかさが好きでそうなるのは全然いいんですけど、妙な清らかさへのコダワリはいらんと思うわけです。

原罪という言葉に対しての、僕の解釈としては、

自我の芽生えによって、何かを掴み取り、理解していく。といったクセが生まれますけど、
この理解を積み重ねていった先に真理はございませんで、真理は掴み取る以前のそのまんまのものですねん。
ですので、理解の積み重ねによって真理を知ろうとするのは、方向性が違いまっせー。

っていう意味なんじゃなかろうか?
と思ってるんですよねー。

聖書の原文では、罪という言葉は「的外れ」という意味やと聞いたことがあります。

原罪、生まれながらの罪というのは、生まれた瞬間から持ってる罪じゃなくて、
自我の芽生えによってクセづいた、掴み取って理解を重ねるというクセのことをゆーとるんやろうねぇ。。。と思うわけです。

いや、聖書とか詳しくないから知りませんけどね。

ただ、すでに「そのまんま」であって、そのまんまこそが真理であってブッダであるわけですのでね。
元々の罪なんていうのは、ほんとに無いんですよね。

あるとするなら、それは罪じゃなくて、単なる勘違いだけが起こったりする場合があるってことなんです。

勘違いっていうのは素晴らしい自分への過小評価なんですよね。

自己の探求っていうのは、足りない自分をなんとかして上昇させるもんじゃなくて、すでに満ち足りた自分を探す旅なわけです。

足りてないという勘違いを見つけることで、その勘違いから目覚めるということ。

それが足るを知るということなんですよね。

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