「節子、それドロップやない。おはじきや。」
というわけで、火垂るの墓を見ると、ブホッブホってなって泣いてしまうタクさんです。
おはようございます。
なので、あの映画がテレビでやってるとどうしてもチャンネルは変えてしまいますねー。
そういえば、もうずいぶん前に仕事の関係で、お亡くなりになった原作者の野坂昭如さんとお会いしたことがあるんですが、テレビ見た印象のように怖い人かと思いきや、ペーペー若手デザイナーの僕なんかにも深々とお辞儀をするような腰の低い良い人でした。
さてさて、
思てたんとちがう!!
思てたんとちがーう!
ってなった時にね。
なんていうか、その思ってたことに乗っかってた「欲望」の多さがね。
多ければ多いほど、「苦」っていうのも大きくなるわけなんですよねー。
ということは、欲望があまり乗っかってなかったら、その「苦」は少ないわけですね。
というわけで、修行者はこの欲を減らそう!なんて試みをしたりするんやなかろうか?
って思うわけなんですけど、
その修行って結構身体イジメみたいなもんが多かったりしますよねー。
多分、それは、欲望っちゅうもんが身体からくるもんやからなんやろうなー。
なんておもいます。
身体をワタシが維持し、滞りなく運営しなければならない。
といった観念から、運営するための手段としてあらゆる観念と一緒に、
〜ねばならない。
といったルールも出てくるんでしょうね。
でもって、思い通りになっとらーん!
ってなってる時だけ、
その、許せない度合い分だけ「苦」になっとるんですねー。
ある程度の修行でね、身体の不快に対する耐性みたいなもんは身につくと思うんですよ。
そうすると、その耐性分だけ、苦を感じなくて済むようにはなると思うんですね。
そう言う意味では、そういう修行が好きなら全然良いと思うんですけどね。
僕がこことかで言ってるのは、
自然現象として、身体を守る本能は当たり前に起こりますやん。
それがうまいこといく場合もありますし、うまくいかんこともある。
上手くいかなくて、抵抗しようというエネルギーみたいなもんがね、
摩擦となって感じられることもあるかもしれん。
そういうエネルギーに対してもね。
自然に表現させてあげる。
人権??を認めてあげる。
って感じなんですよねー。
すると不思議なことに、そのエネルギーもススーッと、
流れていってくれるんですよね。
なーんや!
勝手に良い悪いを決めて、
良いはススーッと味わって流すくせに、
悪いは、こっち来んなーって抵抗しとっただけでね。
いくら来んなー!ゆうても来よるわけで、
そこでアタフタしとるだけなんやん。
そのアタフタも含めて、ドンドン楽しくダンスしたったらええねんやん。
みたいなことなんですねー。
味わってあげると、良いも悪いもなく、全部同じで源泉の表現なんやーん。
って思わずニッコリなんですよね。
良いも悪いも、好きも嫌いも、
楽しく起こって来よるんですね。
それで良いし、それが良い!
って事です。
全ては完璧に起こってくれるんですよね。
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