あらゆる欲を手放しなさい!
あなたの中に欲があるからその欲の中に取り込まれてしまうんですよ!
みたいな言い回しがあったりするんですけどね。
で、
悟りを得られないのは、自分がまだ欲を持っているからだ。
みたいに思っちゃったりしてね。
見当違いなんですけどね。
この意見も、その意見からくる罪悪感もね。
そういえば、
僕が昔に通っていた瞑想教室では、
カルマがあるから、このカルマを解消しないといけない。
手放さなければならない。
みたいなことをしきりに瞑想の先生が言ってはりました。
カルマってなんやねん?
って思ったりするわけですけど、
なんだか、悪いウイルスのような扱いだったわけです。
そもそもカルマってそういった手放すとかそういうもんじゃなくて、
ただの因果の法則っていう1つの哲学でしかないんですけどね。
ちなみに、この因果の法則ってのも1つの物語に過ぎないんですよね。
そういうものがあるように思ったりしますが、
んなもんないんです。
後付けで、あるように思ってるだけでね。
ま、因果とか欲とか、
あなたがそういうものを持ってるせいで悟れないんですよ!
ってな風に教える先生も結構おられるらしいんですけど、
これって、根本的なところで勘違いがあるように思うんですよね。
なので、この勘違いを真に受けて、罪悪感をもつ必要も全くないんです。
まず、自分が欲とかカルマを背負っているっていうのが勘違いです。
欲とかカルマ?これ自体が自分の構成要素な訳で、それを自分から剥がそうとしても無駄なんですよね。
空気に対して、酸素とか窒素を手放しなさい!って言ってるようなもの?
ちょっと違うか、
水に対して、H2Oを手放しなさい!って言ってるようなもの??
ま、こんな感じで、
自分から自分を手放しなさい!
あなたがあなた自身を手放さないから、悟れないんです!
って言ってるようなもので、
じゃあ、手放すのは誰やねん!
っていうツッコミが入りそうな変なことを言ってるのと同様の意味なんです。
んなことできるわけないので、修行は延々と続くわけですね。
で、その修行が長い方がなんか偉いとされていたりして、
それって、勘違いをずっとやってる方がエライ!
ってことになってるのと同じことだったりするんですよね。
で、修行が足りん!とか言ってたりして、
どないやねん!
って感じなんですけど、
ま、そういうわけなので、罪悪感をもつことなんて
これっぽっちもないわけです。