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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

覚者への帰依

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帰依ってね。
なんか辞書とかで調べて見ると、
力あるものにすがる。
みたいな意味が書いてあるんですけど、
なんかそういう意味じゃないと思うんですよね。
wikiをみてみると、冒頭のほうには、
仏法僧を拠り所にするという意味。って書いてあります。
だとすれば、仏法僧ってのはあるがまんまのそれそのものっていうのを指すんじゃないのかなぁ。
誰かの教えとか、お坊さんを拠り所にしなさい!
っていう事じゃないと思うんだけどなぁ。


ま、言葉の意味はどうでも良いんですけど、
覚者とか先生とかに帰依する必要なんてこれっぽっちもないと思うんですよね。


彼らがダメだ!ってわけじゃなくて、もちろん素晴らしい人たちなんでしょうけど、
彼らは何かを指し示しているだけで、
それがあなたの中でうまくハマれば取り入れたら良いし、
ハマらんかったら無視したら良い。
それくらいに思っていたら良いと思うんです。


いずれにしても、どんな先生や覚者でも
あなたを悟らせる!
なんて事は出来ません。


っていうか悟りなんてものもないんですけどね。


もし、そういうことが起こったのなら、
それはあなたの中で起こったということであって、
先生のおかげでもありません。


最初から普通にそうやったってことなんです。


いずれにしても、教えを説くなんて言われていますが、
こと非二元とかに関していうと、
何かの教えを説くという意味合いはちょっと違うと思うんですよね。

なんていうか、教えっていうとどうにも師匠と弟子みたいな関係性になっちゃうじゃないですか。
教える人と教わる人。
みたいなね。

この関係性のまま全てはひとつって教わっても変やと思うんですよ。

教えを授ける!って師匠が言って、
ははー!お師匠さまー!って弟子が言って、

全てはひとつなのじゃー!
そして、全ては全てであるがゆえに全て以外には何もないのじゃー!
ってゆーてね。

じゃあ、もう師匠と弟子の関係性がおかしいわけで、
この関係性が重ければ重いほど邪魔になってるっていうかね。

なんかそんな感じがするんですよね。

ま、僕はラマナさんって人は好きですけど、
誰かをなんか覚者だとか聖者だとかって有り難がったり、
帰依したり、
そう言った扱いはしなくて良いと思うんですよね。

ネコにしたら、ラマナもその辺の飲んだくれも
すんごい聖者も、おんなじオッサンな訳ですので、

同じおっさんの中で、なんか価値に違いみたいなものが見えるとすれば、
そこに変な観念があるっていうわけなんです。

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