聞いたことや習ったことを一回置いておいて、
確かめられることだけを見てみるんです。
例えばあなたは、音を聞いたり何かを触ったり、頭でなんか考えてみたり、味わってみたり、においを嗅いだりしてるわけじゃないですか?
この機能って五感という機能があるとされてますよねぇ。
でもね。
それって、本当でしょうか?
もしかしたら五感の機能っていうのは、イメージの中で作られた
物語なのではないでしょうか?
これはそのまんまの経験、直接的な経験なのか?
単なるイメージから作られた物語なのか?
そういったことを確かめてみたら良いと思うんです。
こういうことを確かめてみるには、何がイメージで何が直接的な経験なのかを確かめて見るわけなんですが、
僕らはついついイメージの方を先行しがちなので、
まずは聞いたことや習ったことを脇に置いておくようにすれば良いんですよね。
そのためには、一旦、何が聞いたことや習ったことなのかということをあぶり出してみると良いんです。
どやってあぶり出すのかというと、
「これって赤ちゃんの時も分かってたんやろか?」
って考えてみるんです。
赤ちゃんの時も分かってたんやったら、聞いたり習ったりしたことじゃなく、直接的な経験として感じた事なんですよね。
赤ちゃんの時は何かしら特別な能力を持っていたのか?
といいますと、そんなことは無くて、
ただ、単にふつうに経験していただけなんですけどね。
その後に、いろいろと聞いたり習ったりする過程で、
あらゆる経験に意味づけをしていって、
その意味づけというイメージの中にいつしか閉じ込められていたというような。。。
なんかそんな錯覚が生まれていただけなんです。
と、言うわけで、冒頭の五感を観察してみるとですね。
目で見た。
とか、
耳で聞いた。
ってね。
なんとなく思ってしまいがちですが、
その目の機能や耳の機能ってのは実際には見ることが出来ないんですよね。
確かに目をつぶったら、見えていたものが見えなくなりますが、
実際の直接的な経験は、ただ、見えた。
目をつぶると、
ただ、黒い何かが見えた。
という経験だけであって、
音にしても、
直接的な経験では、
音でもなく、何かしらの経験があった。
ってことでしかなくなるんです。
これらが、ただ起こってるだけというのが実相なんです。