Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

雨乞いダンスに疲れたらダンスをやめればいいじゃない

はじめに

どもー!オハです!
タクさんです。

僕らの苦悩って自分に対して起こってくる色々な出来事について悩んでるように見えて、本当は思考のとらえたストーリーについて悩んでいるのかもしれませんね。

だって出来事って、とらえ方次第ですもんねぇ。

急に面倒な仕事を押し付けられたとして、
「うわー、だるいなぁー。よりによって今かよ!」ってのもとらえ方ですし、
「お!こりゃーチャンスがやってきたぞ!」ってのもとらえ方ですもんね。

まあ、そりゃーどんな出来事だってポジティブにとらえられたとしたら最強ですもんねぇ。

そういえば僕も若い頃は、どうやったらポジティブにいろんな出来事をとらえられるんだろう?と探求したものです。
いつの時代にも、本屋さんではこういったジャンルの本はずっと出続けてますもんね。
きっと人類共通の悩みの一つなんだと思います。

そして僕らの探求というのも、どのようにとらえたらいいのか?の探求であり、思考のコントロールの仕方についての探求なんですよね。
思考をコントロールさえできたら、もう悩まなくて済むはず!って思うのも無理はありません。

思考をコントロールしなくても良いのよ

でも、思考はコントロールできないんです。
だからこそ、この人類の悩みはいつまで経っても解決できないってわけです。

よくよく思い返してみると、例えば恋に落ちるっていうじゃないですか。
あれって、恋を”する”じゃなくて”落ちる”って表現されているように、自分でやるんじゃないんですよねー。
落ちちゃうわけです。
明日からあの人に恋しよっかなー?って感じでコントロールしてるわけじゃないんです。
これは、好きな色でもそうですし、好きな動物にしたって自分で決めているわけじゃないんです。

僕だって子供の頃は全然ネコ好きじゃなかったわけですが、ある日たまたま見かけた子猫に吸い寄せられて飼うことになった!
みたいなことがありましたからねー。

雨乞いダンスと探求

これは、天気はコントロールできないということと似ているかもしれません。
雨乞いダンスをして雨が降るのを望んだとしても、降らない時は降りませんし、
ずっと雨ばかりで晴れ渡る空をのぞんだとしても、降る時は降るわけですからねー。

そんな天気に向かって、一所懸命雨乞いダンスの真髄を追い求め、ダンスを踊り続けたとしても、やっぱりそれって疲れるだけってことになっちゃうわけです。

僕らの苦悩も、そんな雨乞いダンスを追い求めたり、また踊り疲れているのと同じようなことかもしれないんです。

錯覚の正体

現れてくる思考にあれこれと翻弄されることなく、思考が何を言っていてもそのまんまにしておいてあげることで、少し思考から距離を取ることができます。
そうすると、思考をコントロールする必要性なんて一切ないってことに気づけるんです。
思考と目の前の事実は別ものですし、思考がどんな解釈をして騒いでいようとも、その思考を変えなきゃっ!ってならなくていいんです。
思考ちゃんに巻き込まれているとまるで思考のストーリーが我が身に覆い被さってくるような、そんな力を感じるかもしれません。
そしてそのストーリーがまるでまったき真実であるかのようにも感じちゃうものです。
でもそれは錯覚なんです。
思考ちゃんをただただそのまんまにしておけばいいんです。
ついつい構っちゃうんですけどねー。
思考ちゃんってかまってちゃんなので。
でもこのついつい構っちゃうクセに気づいていくと、この思考が錯覚を作る仕組みがバレてくるんです。

 

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