Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考ちゃんも定期的にメンテしてあげましょう

はじめに

どもー!
タクさんです。

やっぱ僕らってさぁ、
物心ついてすぐくらいに幼稚園とか学校にいくようになるわけじゃないですか。

でそこで嫌というほど、

「いい成績を取りたければ、ちゃんと勉強しなさい」
「努力すれば報われる」
「いい大学に行けば、将来は安泰」

みたいなことを叩き込まれちゃうわけですよねー。

そこで、
 「なにかを得るには、代償がいる」
と言ったような概念をもう当たり前の真実として刷り込まれちゃうわけですよ。

勉強という“代償”を払えば、成績や将来という“報酬”が得られる。
遊んでばかりいたらろくな大人になれない。

ってな感じでねー。

この構図は、そのまま大人になっても使われ続けるわけでしてね。

・成功した人は、きっと血のにじむ努力をした
・楽してる人を見ると、「あとでツケがくるぞ」と言いたくなる
・自分がうまくいかないと、「代償が足りなかったんだ」と落ち込む

って思い込んじゃったりするんですよねー。

これはもう催眠みたいなもので、しかも
みんなでかかってるから「おかしい」と気づきにくくなっちゃってるんじゃないかなーっておもうんです。

僕らって周りも同意見だったら真実だ!って錯覚しちゃうんですよね。
思考のストーリーっていうのは共有されればされるほど真実性が増していくわけです。

だから、日本やアメリカという国が実際に存在するって信じられるわけですもんね。
逆に自分だけのストーリーだと、ただの妄想になってしまいます。
ですがどちらも同じ思考のストーリーなんですよね。

陰謀論大好き界隈は同じ意見の人たちとつるむと、余計にハマっちゃうってのにも似てると思います。
きっと新興宗教や怪しいビジネスがやたらと外部との接触を遮断したがるのもそういうところなんじゃないかなーって思います。

思考は「因果」でなりたつ

そもそも 僕らの思考って、「ストーリー」で仕立てられています。
そしてストーリーってのは構成上、
これがこうなってあれがああなる。みたいな作りになってますので、
「原因があって、結果がある」っていう因果関係の構造でなりたってるわけです。

・頑張ったからうまくいった
・サボったから失敗した
・成功には見えない努力があるはずだ

っていう、何かを得るには代償が必要だ!という概念も
因果関係の構造とピッタリ合いますので、ストーリーが綺麗にまとまるんですよね。

そしてそのストーリーを真実と錯覚するわけです。

実際のところ僕らの目の前の世界って、たまたまそうなったって感じなんですけどね。
この「たまたま」は偶然というわけじゃなくて、そもそも因果にしばられてないよって感じです。
因果から自由なんです。

ストーリーは後づけ

たとえばある日、突然ラッキーなことが起きたとします。

「きっとあれは、昨日がんばったご褒美だな」
とか言っちゃったりしますよね。

逆にちょっとしたラッキーの場合は、
「こんなことに運を使っちゃったー」って思ったりしてね。

そして嫌なことが起きたら、
「なんか悪いことしたかな?」とか思ったり。

僕らは常に、出来事のあとに、
意味づけをしてストーリーを作ってるんです。

つまり
 起きたことにつじつまを合わせてるだけなんです。

つまり、思考が作ったストーリーの中で、
「代償」や「報酬」という「因果の物語」が、
勝手に構築されてるってことなんですよね。

別に催眠が悪いわけではありません。

思考というのは、そもそもストーリーで動くものですので、
因果関係や代償の物語をつくってしまうのも、その性質です。

ですが、思考ちゃんもちゃんとメンテしてあげないと、どんどん暴走してきたりするんですよね。

放っておくと伸びてくる髪や爪のような感じです。
体だって洗わなければ垢が溜まるし、歯だって磨かなければ汚れちゃうもんね。

だから、
歯磨き感覚で、たまに思考のストーリーから離れてみる。
「今」にそっと佇んでみる。
そうやって思考ちゃんをメンテしてあげれば良いんです。

 

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