Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私はいないけど、自分感覚は消えない

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【はじめに】

ほーい。どうもおはようございます。
最近新しい洗濯機をかってちょっと嬉しいタクさんです。
いやー。子供の頃はね〜。親があたらしい家電を買って喜んでるのを見て、何が嬉しいんだか、、、。ってねー。冷めた目で見てたんですよね〜。

だって、洗濯機や冷蔵庫を買ったところで、遊べるわけじゃないですもんねぇ。

その冷蔵庫一個で、わしがほしいおもちゃが何個買えることか!
ウルトラマン・スーパーマードッグセットがいくつ買えることか!
鉄腕アトム超合金人形がいくつ買えることか!お腹のところが開くんやぞ!
って思ってましたもんね〜。

でも、すっかり大人になってしまった僕は、新しい洗濯機にウキウキするようになってしまいました。
皆さんは、どのような洗濯ライフをお過ごしでしょうか?

ーー

【私はいないの錯覚イメージ】

さてさて、「私はいない」と聞くとよく行われる錯覚イメージはね。
例えば、思考や感情がなくなってしまって、呆けた感じになる。
また、記憶も失って私は誰なのかわからなくなる。

みたいなねー。
いわゆる、「ここはどこ?私は誰?」状態になるんじゃないのん?
って思ったりする方もおられるんですけどね。

それはぜんぜん違うんですよね〜。
別にそうはなりません。

では、なぜそんな錯覚イメージを抱いてしまうのか?といいますと、
それは、思考や記憶や感情が私だと思っているからなんです。

常にココにあるいわゆる「自分という感覚」と思考や感情を一緒くたにしちゃってるんですよね。

だから、私が消えたら、思考や感情も消えるという錯覚をしてしまうんです。
そして、私がいないという気づきは、思考や記憶や感情って「私」じゃないんだー!っていう気づきなんですね。
だから別に思考や記憶や感情ってなくならないんです。

【思考や感情がなくならないんなら意味ないじゃん】

でね。

思考や感情がなくならないって聞くと、
「えー!なくならないのー!だったら意味ないじゃ~ん」
って思う方もおられるかもしれません。

この嫌な思考もなくならないんでしょ。
だったら意味がないんですけど・・・。
ってねー。
そんな風に感じたりもしますもんね。

でもこれもまた、思考や感情が自分だと感じているから出てくる思いなんですよね〜。これが自分じゃないなら、別に思考や感情は起こっても良いことになるんです。

【自分という感覚は消えません】

では、私がいないのなら、
この思考や感情と一緒に感じている「自分という感覚」
これが消えちゃうの?

って思われる方もおられるかもしれません。

でもね。これもまた消えないんです。
むしろこの感覚はより鋭敏になります。

そもそもこの感覚は「自分という感覚」じゃないんですよね。
あくまで名もなき感覚なんです。

この感覚に「自分という」をつけていたのはあくまでも思考の中の解釈なんです。

そして、この感覚は思考や感情から解き放たれることによって、より鋭敏になります

今まではこの感覚は思考や感情の檻に押し込められていたんです。
それが檻から放たれると、もっと鋭敏になるんです。

この感覚が言語化された言葉が「目覚め」なんです。

そして、思考や感情のこともまたより深く理解できるようになるんです。
理解というと、これもまた思考じゃ~ん。
ってなるかもしれませんけどね。
この辺はもう言葉の限界なんですよね。

だから、変な話、「私はいない」の気づきは何も変わらないけど、すべてが変わるとも言えちゃうんです。

 

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