Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんでも無いものを演出によってなにか別のものにしてしまう件

f:id:takuteto:20210616201021j:plain

【はじめに】

はい。
おはようございます。
タクさんです。

好きな映画はロッキーです。

このロッキー。
名シーンは様々ありますが、やっぱりあの階段を駆け上るシーンは有名ですよね。

ただ、あのシーンにもし音楽がなければどうなるのか?
っていう動画がありまして、これがちょっと面白いんです。


www.youtube.com

音楽がないとあの感動的なシーンも、
ちょっ!ただの陽気なおっさん!やん
って感じになっちゃうから困ったもんです。

やっぱり音楽があった方が盛り上がりますが、
ま〜現実はこんなもんですもんねー。

 

【心の演出を取り除くと、なーんでもないが残る】

さてさて、
僕らの心や感情も、なんでもないものを何か特別なものにするためのいわゆる演出なんです。
音楽がなくなるだけで、あれだけ無味無臭になったりするわけですが、心の演出は、音楽なんかよりもよっぽどすごい演出をしておりますのでね。
この壮大な心の演出を取り除いてしまうと、もう沈黙しか残りません。
この沈黙こそ、なんでもない今なんです。

ちょっと頼りないし味気ないように感じるもの。
これがいわゆる真実なんですよねー。

これだと、あまりにもなんでもないので掴みようが無いんですよね。
だから、僕らは心でいろいろと演出をするわけです。

【僕らの悩みはこの演出部分によるもの】

ま〜僕らの苦しみとか悩みっていうのもこの演出部分にあるんですよねー。
ロッキーでいうと音楽の部分みたいなもんですね。

なんで、こんな曲なんだよ〜。
っていうね。
なんかそこに苦しみを感じたり悩んだりするわけなんですが、
ここって本質じゃないんですよね〜。

なので、この演出について変に悩む必要性って無いんです。
だって、もともとはなんでも無いものですからねー。

ただ、演出上、悩みみたいなものは出てくるものです。
でもこれって、起こっては消えていくものでしてね。
どんなことが起ころうが、その元にある静寂はずっとここにあり、
この静寂こそが本質であって、
起こることが何であれこの本質は影響は受けていないんです。

【演出をなくそうしても無理ですしなくなりません】

よくね。苦しみとか怖さとか、そういうのはもう起こらなくなるんですかー?
ってね。聞かれるんですけどね。
起こることはどんなことでも起こりますしね。
そこでいろいろな反応は起こるものなんですよ。
ただ、本当の苦しみっていうのは起こることの中にはないんですよね〜。
それはただ、起こっては消えていくものですからね。
これを演出として何度も繰り返すところに僕らは苦しんでいるわけであって、
この演出を演出として知ることで重みはなくなるんですよね。
この重みというのは、いわゆる危機感による反応なんです。

【気づきが起こると、もう苦しんだりこわくなったりしないのか?】

恐れや苦しみも演出の一つですが、演出を演出として知ることで、無駄に繰り返すことができづらくなるんです。
もちろんね。
一切の繰り返しがなくなるわけじゃないですけどね〜。
ただやっぱり、演出だとバレてしまっているので、繰り返しは起きづらくはなってくるんですよね。

そして、演出だから起こってもいいじゃん。ともなるんです。
だってそれは本質にはなんの影響も及ぼさないですからね。
あー、怖かった!
きー、ムカつく!
はー、めんどくさい!
みたいな思いもあっていいんです。

そして、あっていいとなると、もうその思いを反芻できづらくなっちゃうんです。

僕らは嫌な思いを繰り返すのって、
あってはいかんっ!と思うからこそなんですよねー。

だからね。
悟りの『体験』を拠り所にして生きていくというのともちょっと違うんですよね。
そういったことを説いている先生もおられますけど、僕の見解はそれとは違います。
なんていうか、もっとダイレクトなんですよね〜。
この辺のことについてはまた今度書いてみたいと思います。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!