Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

委ねと降参

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杞憂(きゆう)という言葉がありますよねー。

これは春秋時代の中国にあった「杞(き)」という国に住んでいたある男の話です。
その男は、
「この天(空)が崩壊し、落ちてきたらどうしよう。」
「また、もし地面がなくなってしまったら、住む家も失ってしまう。」
あー恐ろしい。
と日々悩んでいて、夜も寝付けなくなっていました。

そんな彼を心配する友人は、
「天は、空気が集まってできているもので、空気のないところなんてないしょ?
僕らがこうやって空気を吸って行動できるのもまた、この天において行なっているものなんだから、この天が崩壊するなんてことで心配する必要なないよー。」
「地面も土でできていて土のないところなんてないでしょ?
僕らはずっとその上を動き回っているんだから、その地面がなくなってしまうなんてことも
ないよー。」
と諭したんです。

すると、彼も安心し、寝れない男を心配していた友人もまた、安心して、心配が消えました。

というお話なんですよねー。

ま、この「杞」という国は、漫画のキングダムの時代よりもさらに数百年前にあった国の一つなんですけどね。

「杞」だけじゃなく、有名どころでは、
「呉越同舟」「臥薪嘗胆」なんかの言葉で有名な、呉や越という国や、
他にもいろんな国があったんですが、楚や秦、斉など様々な国に滅ぼされたり吸収されたりちゃったんですよね。

当時の中国は、今のヨーロッパのようにいろんな国があり、
人種はもちろん言葉や風習もちがえば、お金の単位、物の測り方、暦、音楽の音階に歌まで、
国ごとに違ったんですよね。

ま、それを秦の始皇帝が一気に統一したというわけです。
でもやっぱり、急激な変化には抵抗がつきものですからねー。
秦は始皇帝の死後、割とすぐに滅ぼされて、
漢という国になるんですよねー。

・・・っと。
やばいやばい。この辺の話をし出したら、
またどんどん長くなりそうなので、この辺までにしておきます。

 

はい。
というわけで、おはようございます。
タクさんです。

杞憂という言葉。

これ、意味的には、心配しすぎー!
ってな感じで使われてますが。

そもそも心配しなくてもいい理由としていわれているのが、
天と自分は同じつながりであり、地と自分もつながりである。
だから、天が崩壊することなんて心配する必要がないんだ。
ってなことなんですけど、
つまりは一つだということを実は言っているような気がするなぁ。

って思いました。

当時はバリバリの戦国時代だったわけですが、
そんな折、天と人も、地と人も全く分けられるものではない。
人同士だってそうなんじゃないのかい?
みたいなね。
そんな裏メッセージがね。
あるのかもしれませんねー。

まー僕らも、心の中のあらゆる声に右往左往するもんです。
そして、思い通りにいかなかったことは、
大事に心の中に留め置いて、
何度もなんども反芻しちゃうくせに、
うまくいっていることは、
もうどうでもいいこととしてすっかり忘れちゃったりするわけです。

だとしたら、

あれこれと心配事を持ってくる、そんな心の声に、
しっかり納得してもらうのは、
どだい無理なことですよねー。

だって、上手く行っていることはスルーするんですからね。
これは心配事をあえて作ることが目的になってるといっても過言ではありません。

天と自分がひとつながりであるならば、
もう心の声の従者になるのはやめちゃって、
天に委ねればいいんですよね。

心の従者になること。
これが終わらない探求をうんでいて、

「委ね、降参」とは心に納得してもらおうとすることからの卒業であり、
この卒業が探求の終わりとなるんです。

 

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