
はじめに
どうもですぅ〜。
タクさんです。
さて。
いわゆる探求の過程で、
「全部ひとつだ!」
とか、
「分離なんてなかった!」
みたいな体験をすることがあります。
皆さん憧れの、いわゆる「なんとか体験!」ってやつです。
一瞥だとか見性とか言われてたりするんですかね。
世界が急に軽くなったり、境界線が消えたように感じたりしてね。
思考ちゃんも
「えーー!そういうことなん?」
って、びっくりしたりするんですが、実はその後に、とある思考ちゃんの得意技のせいで、あの体験が消え去ったと錯覚しちゃうんです。
そして今度はどうやって取り戻せばいいんだ?ってなったりするんですよねー。
今日はその辺のことについて書いてみたいと思います。
「対象」は存在しない
僕らっていうか思考ちゃんっていうか。
どっちでも良いんですが、何かを見た瞬間にそれを無条件に「対象」と捉えますよね?
机でも、
空でも、
犬でも、
コーヒーカップでも、
ペットボトルの蓋でも、
どれもみた瞬間にそれを「対象」だと思い込んじゃうんです。
例えば、目の前のコーヒーカップを見てみてみるとですねぇ。
実際に起こっているのは、色みたいなものが見えていたり、
そこに明るさや輪郭のようなものを感じたりすると思います。
手を伸ばせば、硬いといったような感覚が起こったりしますよね?
でも面白いことに、よくよく観察してみてもそこに「対象」というものは見つからないんですよねー。
空を見上げても、遠くにある山を眺めてみてもそこに「対象」というもの自体は存在しないんです。
ただこれを思考ちゃんが、
「これはコーヒーカップという対象だ。」
と、一つにまとめて名前を付けているだけなんですよねー。
コーヒーカップという働きは、ちゃんと起こっていますので、対象がないとしてもいきなりコーヒーカップが消えるわけではありません。
ただ「私の前にある対象」という見方を、思考ちゃんが作り出しているだけなんです。
よく言われる「私はいない」ってのも一緒で、それがわかると「私が消えるのでは???」って思ってる方もおられるかもしれませんが、そういうことではありません。
それも思考ちゃんが対象と一緒に作ってる「私」にすぎないってことなんです。
対象がなくなると、思考ちゃんはちょっと混乱する
でね!このことが少しずつ見えてくると、思考ちゃんはちょっとパニクるんですよねー。
「えっ?」
「私と世界に境界なんて存在しないじゃん!」
「対象ってなかったんだ!」
てね。
「これしかないやん。」
「分離って、『私』という思い込みがあるからそう見えていただけやん。」
そんな感じで、今ここに起こっている様だけがあることが見えてきたりするんです。
ところが、ここで終わればいいんですが、思考ちゃんは対象作りの天才ですからねぇ。
今度は、その気づきや感覚そのものを対象にし始めるんです。
「対象がないことを発見した!」ってな感じで取り込み始めるんですよね。
いわゆる「悟った感覚」を対象にしてしまうんです。
そうすることでまた徐々に「私」と「対象」の世界観が戻ってきてしまう。
といったような感覚になるんです。
本当は行ったり来たり戻ったりなんてしてないんですけどね。
思考ちゃんは、物事を対象として捉えることをやめることはないってだけなんです。
探している限り、対象は作られ続ける
そうすると思考ちゃんは、
「あの感覚が消えた。」
「どうやったら戻るんだろう?」
「またあの状態になりたい。」
って探し始めるんです。
思考ちゃんはもう「あの感覚」という新しい対象を作ってるんですよねー。
思考ちゃんって、対象という概念なしでは何かを認識することができないんです。
だから、
何かを理解しても、今度はその理解を対象にするし、
何かを手放しても、「手放せている私」を対象にするんです。
最初から離れたことなんてなかった
「あの感覚がなくなった!」
と騒いでいる思考ちゃんまで含めて、今ここに起こっている様なんです。
そして起こっているのはこの「様」しかない。つまり様子しかないんですよね。
対象というものは最初っからどこにも存在してないんです。
思考ちゃんは何かを探す時に、対象を探そうとします。
ずーっと対象を追いかけるんですよねー。
だから見つからないんです。
ですがそうやって探している様子。
探求している私。
探している思考。
「あの感覚が欲しい」という気持ち。
全部ひっくるめて、「様」であり、コレなんです。
だから僕らは一度たりとも「コレ」から離れたことなんてなかったんですね〜。