Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ただ観るということ。

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はい。
おはおうございます。
タクさんです。

ところでみなさん。
イエスキリストさんっていますよねぇ。

イエススというほうが、本来の呼び方に近いんだそうですが、
この人の今残っている肖像画は4世紀の頃に書かれた、肖像画が元になっているそうなんですね。
白人で面長長髪で長い髭というのは、その肖像画に書かれたイエスさんから始まっているそうなんです。

ほんとは、髭は短く、短髪で褐色の肌だったんじゃないか?
と言う説もあります。

ちなみに英BBCが医法人類学的な調査をもとに復元したイエスさんの顔がこちら。

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4世紀ごろに書かれたイエスの肖像画は、
ゼウスの姿が神様の象徴のようになっておりましたので、
イエスさんもゼウスをモデルにしたと言われています。

ま、実際のところはわからんのですが、

今から400年前と言いますと、戦国時代末期あたりでしょう?
あの有名な織田信長さんでさえ、
今描かれている織田信長は、こんな感じですもん。

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そりゃ、全然違う顔になるのは仕方ないですよねー。

 

さて、

今日は、イエスさんや信長さんの顔の話がしたいわけではなくてですね。

全く話が変わるのですが、

よく、考えや思い込み。
これらをスルーしたら良いんだよー。

と言う話をしてますよねぇ。
そのことについて書いてみたいんですけどね。

結構よく言われるのが、
まだ、なかなかスルーすることができないんです!

って言うことなんですよねー。

まあ、この辺は、できなきゃできないで良いですし、できるところだけやりゃ良いじゃん。

ってことですので、実は何ら焦る必要も慌てる必要もないんですが、
どうにも、ここで起こりがちな誤解としては、

考えをスルーできるようになることが、いわゆるゴールである。

という誤解なのかもしれません。

これねぇ。
全くの誤解なんですよね。

悟った人(そんな人はおらんのですが・・・)は、あらゆる思い込みを超えた人なのだ!

と言うことではないんです。
アイデンティティーもイラっとすることも、ちゃんと残ります。

あらゆることは、ちゃんと可愛く起こるんです!

このアイデンティティーはそもそも自分でもなく、誰でもない。
というだけのことなんです。

そして、そのことは、理解されるわけではなく、確信としてあることを発見するんです。

発見というよりは、再発見といった方が近いかもしれませんけどねー。

確信というのは、理解ではありません。

理解はあらゆる根拠を集めてきて納得したりわかったりするものですが、

確信は、そんな根拠や理解を超えたものです。

ですから、理解の先に確信はありませんし、理解のための材料集めは
確信に対して邪魔になることはあっても助けになることはないんです。

だからせめて、理解しようとしないこと。

これくらいしかできることはないんですよね。

確信の邪魔をしないこと。

できるのはそれだけなんです。
それが、ただ観る。ということですし、スルーするということでもあるんです。

邪魔さえしなきゃそれは訪れます。
なぜなら、「それ」がもう本質だからなんです。

本質とは確信であり、説明されるものではなく、
納得するものでもなく、信じるものでもないんです。

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