Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

どんだけスゲーことも、素晴らしいことも!

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素晴らしい人の言葉に、フワーすげ〜!
ってなったり、
大自然の営みをまざまざと見せつけられて、
かぁーっ!偉大ですわ〜!
ってなったりする事ありますよね。


このフワー!とか、かぁーっ!って、なんか感動しちゃうこの動きって
どこで起こっとるんやというと、
やっぱり、自分の中で起こっておるんですよね。


ってことはですよ?


素晴らしいも、
偉大さも、


その源泉となる、フワ―!って感じとか
かぁーっ!ってのが自分の中にあるわけですから、
どこにあるんや?
って言いますと、


やっぱり、自分の中にあるわけなんです。


はぁー。
あのお方は透明感にあふれてて素晴らしいわぁー。


って思ったりしてても、そのすばらしいわぁー。てのは、自分の中にあるんですよね。


自分の中にあるものの中からを、
ココからココは自分自身の範囲で、
これは他のスゴイ人で、
これは自分以外の大自然のことで、とか分けたりしますが、
全部、自分のなかにあるわけなんですよね。


私は全てであり、全ては私である!
ってな言葉って、
ま、そういう事なんですよね。


でも、あんた自分はいないってゆーてるやん!
ほなら、全部が自分って変やん!


って思われるかもしれませんけどね。


全部の中からココからココは自分。
ってやってる、範囲で限定された自分っていうのはいないんです。


それでね。


全部が自分やったら、もう自分って言い方がそぐわないんですよね。


全部しかないし、全部以外の何かもないってなもんでね。


でも、そういう事は、まあどうでもいいんですよ。


それよりも、どんな素晴らしい事とか、素晴らしい人とか、
すっばらしい大自然とか、


そんなのは自分の一部でしかなく、自分が思っている以上に自分は素晴らしいんだー!
ってね。
もっと自分の良いところを拡大してやりゃ良いと思うんですよね。


そして、そもそも他人とかと比べるのも変な話なわけですよね。


他人と比べるっていうのは、何をしてるのかと言いますと、
自分の中にいる他人と、自分の中にいる自分を比べてるにすぎないわけですからね。


だって、考えてみたら、あなたが思ってる自分と、隣にいる田中さんが思っているあなたって全然違うわけじゃないですか?


じゃあ、あなたが思っている田中さんと、田中さんが思っている田中さん自身も全然違うわけですよね?


そういったものを比べるのって完全に無意味なんですよね。


で、思っている自分とか田中さんとか、


そういうのって、常にその時の都合で変わってしまっていて、何かしらの固定されたモノってのも無いんですよね。


無いモノを無いモノと比べてみてもどうしようもないわけです。


自分の良いところは、もう無限大に風呂敷を広げちゃって、


そして、ダメだーってところが目についたなら、
もしかしたら、誰かと比べてないか?
自分がやらなくてもいいことを無理くりやろうとしてないか?


って確かめてみても良いんじゃないかな?って思います。

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