Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

モグラ叩きと瞑想

はじめに

どもー  
ご機嫌様でございます!  
タクさんです。  

さて、みなさん最近モグラ叩きをやったことありますか?僕はもう本当に久しくやっていないですね。最後にやったのは、子どもの頃、ワニを叩くバージョンのゲームだった気がします。それも、たぶん30年ほど前の話です。懐かしいですね。  

今日はそんな「モグラ叩き」と「瞑想」をテーマに書いてみたいと思います。  

・モグラ叩きと瞑想 

モグラ叩きと瞑想??  
これ、どう関連するねん??と思われる方もおられるかもしれませんね。  

「モグラ叩きを制すれば、瞑想も制する」というと大袈裟かもしれませんがやっていきたいと思います。  

今日はそんなモグラ叩きをあえて「叩かずに眺める」という斬新な視点で考えてみたいと思います。  

「え?叩かないで眺めるってどういうこと?」話なんですがねー。  

普通、モグラがぴょこんと出てきたら、反射的に叩きたくなるのが僕らの心理ってなもんです。  
あえてその衝動をぐっと抑えて、モグラをそのまま見てみるんです。  

ま、このモグラはいわゆる頭の中にある「思考」を象徴するものです。  
ふと浮かんでくる考えごとや心の中でぐるぐる回るアレ。それがモグラです。  

で、この「思考」ってね、実は自分がわざわざ頑張って作り出しているものではないんですよ。  
勝手に湧いてきて、そして勝手に消えていくものなんです。そして消えてしまえば、あとには何も残らないんです。  

でも、どうしても僕らはこのモグラ、つまり思考に反応しちゃうんですよね。  
「こんなこと考えちゃダメだ」とか「早く消さないと落ち着かない」とか。  
挙げ句の果てには「こんな思考を生み出している自分はダメだ」なんて責めちゃったりもするんですよねー。  
こんなことで責められる自分はちょっと可哀想すぎます。  

実際には、モグラを無理やり叩かなくても、置いておけば勝手に引っ込むんです。  

・思考はコントロールしなくていい

ちなみに瞑想っていうのは「無心になろう」とか「思考を完全になくそう」と頑張るものではありません。  

瞑想っていうのは、そもそも思考を叩いたり無理に止めたりすることじゃなくて、ただ出てきた思考をそのまま眺めることなんです。  

例えば、何かを考えちゃったとき。「あ、またこんなこと考えちゃったな」と気づく。  
それでおしまい。  
でもそれに対して「あーもうダメだ」とか「早くやめなきゃ」と反応しない。  
ただ「あ、またモグラが出てきたな」と軽く認識して、ほっとく。そうすると、その思考はしばらくして勝手に消えるんです。  

僕たちってどうしても思考をコントロールしなきゃいけない、モグラを叩かないといけないと思い込んでるところがあるんですよねー。  
でも本当はそんなことないんです。  
思考は誰かが意図的に発生させているものではなくて、自然に湧いて、自然に消えていくものなんです。つまり、僕らに何かできるものでもないんですよ。  

コントロールできないものを、コントロールしようとするところに僕らの苦悩があるんです。  

この「放っておけば消える」っていう事実に気づくだけで、驚くほど楽になるんです。  
だって、いちいち叩く必要がないんですからね。逆に叩こうとすればするほど、思考にとりこまれてしまって、余計に消えにくくなるんです。  
だからあくびでもしてなーんにもせずにただあってればいいんです。  
すると気づいたらいなくなってるんですよねー。  
この面白さに気づくほどに楽になっていくんです。  

瞑想ってこういうシンプルなものなんです。「何かを達成しよう」とか「頑張らなきゃ」というものではありませんし、目を閉じて座らなきゃいけないわけでもありません。  
ただ目の前のモグラが出てきたら「あ、また出てきたな」と眺めるだけ。叩かず、反応せず、ただ見守る。それだけなんです。 

 

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