Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

意味づけをやめた。だから、もう迷いはない

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僕がせっせと書いているように見えてるこの記事もね~。
まったくもって意味はございません。

非二元の話だって、まーったく意味は無いんですよね〜。

ありとあらゆるものにも意味は無いんです。

だから、意味のないものに、理論を積み重ねてみても、
どこにもたどり着かないんですよね。

このへんがリーラとか言われるゆえんなのかもしれませんね。

で、
この意味の無さへの明らかさが、意味への執着から解放してくれるんですよねー。

昔のキャッチコピーで、

「ケンカをやめた。だから、もう負けない。」

って言う名キャッチコピーがあるんですけど、
確かパルコの広告だったかなぁー?

これ風に表現するとなると、
「意味づけをやめた。だから、もう迷いはない」

って感じになるんですかね。

ちなみに、僕が好きな俊逸のコピーのひとつで
サントリーの「なにも足さない」ってのがあります。
多分前にもどっかで書いてますけど。。。

その一部分が以下です。

朴訥だが明晰。シンプルだが、奥が深い。なんという矛盾だろう。静謐があって、覇気がある。ゆったりと、鷹揚で、大きな流れと、縦横無尽に闊歩するものとが、同居している。なにも足さない、なにも引かない。ありのまま、そのまま。この単純の複雑なこと。

かーっ!!!!
カッコイイ!!!

このコピーはウイスキーのコピーですけど、
言ってることはまさに「そのまんまのそれ」のことやないですか!

あまりに単純だからこそ複雑。
大きな流れに身を任せるしか無いのと同時に自由闊達。
完全な静寂であり、喧騒。。。

そのまんまのそれ。。。

ですもんねー!

・・・

ま、ちょっと話がそれてしまいました。


さて、
意味がないっていうと、なんか救いがない。
みたいなね。

そんな風に捉えられちゃったりすることもあるかもしれませんけど、

意味がないっていうのは、自由闊達!ってことなんですよねー。

だって、意味に縛られなくても良いんですから!

意味という杖無しでは立つことも、歩くこともできなかったのが、

杖無しで走り回れる。走り回っても良かったんやーん。

ってことに似てるのかもしれません。

もう、意味という許可はいらないんです。


これはどういう意味があるのだろうか?

この先はどこにたどり着くのだろうか?

このことに、一体何の意味があるのだろう?

なぜ、こんな目にあったのだろう?

なにが悪かったのだろう?

・・・

もしかしたら、そんな風に、
常に「意味への許可」を求めちゃったりね。

してた人もいるかもしれません。

そしてそれが、ちょっとした罪悪感として残ってたりねー。

「意味がない」という明らかさが、何かを失わせるということもありません。

なぜなら、僕らはなにかを手にしたことさえなかったんですから。

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