Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りは何かの役には立ってくれません

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悟りって何かの役には立ってくれないんですよね。

気分が悪い時に手助けは全然してくれませんし、こころの拠り所にはなってくれないんですよ。
もうね、
全然役立たずなんです。

どんな嫌なことがあろうが、
それもぜーんぶ許して、ただ寄り添ってるわけです。

でね。
実はそれが自分自身やったってことの気づきなんですよね。

なんていうか、自分自身っていう何かしらの行為者ってのはいないんですけど、
この寄り添ってる「それ」しかなかった。
っていうねー。そのなかで「自分」をやってたんですよね。
まるでおままごとの役割を演じるようにね。
そして、ルールも自分の観念の中で作ってただけだったんですねー。

どんな観念を作って、何を演じてようがね。
ずっと寄り添っていた「それ」は全てを許して寄り添ってるわけです。
今、まさにね。
そしてそれが明らかになるわけであってね。

許すも許さんもね。
そんな概念すらなかったんですよね。

で、その中でそういった概念をこしらえて、
その中で人生をやってるような気になってた。
ってことなんですけど、

こういった人生というリーラっていうんですか?
これもまるっと包み込んでおりますのでね。

なんていうか、自我とかマインドとか。
そういうのがあるのも既に許されとるんですねー。

なのでね、
自我ちゃんは、
嫌なことは消し去ってくれて、良いことだけにして欲しいんですけどー。
って思ったりするもんなんですけど、そうはしてくれないんです。
だって、許されとるからね。

そして、自我ちゃんがいることも許されとるわけなんでね。
それが消えてくれる訳でも無いんですよね。

単にそれがある種の観念でしかなかったことは明らかになりますけどね。

自我ちゃんが何かしらの存在として、モノとしてある訳じゃ無いですからね。
消しようも無い訳ですね。

じゃあ、どないすればええねん!って自我ちゃん的には思う訳ですが、
もう「それ」に溶け込むしか無いんですよ。

全てが許されてて、その中に、自我ちゃんがいることも許してあげるんです。
嫌なことを我慢して受け入れなあかん!
ってことじゃなくて、嫌なことがあるのも許して、
それが嫌やー!って騒いでる自我ちゃんもそのまんま騒がせてあげるって感じかもしれませんね。
なぜなら、それが「それそのもの」だからなんですね。

修行によって、自我を消滅させようとしなくても良かったんですよね。

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