Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らが思ってる現実があるがままではない理由

はじめに

どもー!
タクさんです。

みなさん、夜に夢を見て、朝になったら目が覚めるじゃないですか。
まあ、朝と夜が逆って方もおられるでしょうけどねー。

でもね、目が覚めたと思ったら実はまた別の夢を見てるかもしれないって思ったことありませんか?
ぼくらが現実だとしていることと夢の違いって実はあまり線引きできないものなのかもしれませんねー。

僕らって、朝起きた瞬間から思考のストーリーを必死に始めますよね。
たとえば、もし見知らぬ場所で目が覚めたら、めちゃくちゃ焦るじゃないですか!
「あれ?昨日何があった?え?ここどこ?」
で、頭の中でゴリゴリに思い出そうとしちゃいますもんね。

そしてあれこれと必死に考えた後、
「あ!そうか!酔っ払ってここで寝ちゃったんだ!」
って分かると、ちょっとホッとするんですよね。

普段の毎日でも、
「今日は何曜日だ?」「何時だ?」「予定は?」
って、まず自分の居場所を思考で確かめます。

こうして1日が始まって、僕らはそれを「現実」って思い込んでるわけですが、
この「思考」の世界もまた、夢みたいなもんなんです。

ほんとの真実ってどこある?

僕らがいわゆる“真実”を探すときって、
「誰が言ってるのか?」
「データは正しいのか?」
「証拠はあるのか?」
って、思考で納得できる根拠を集めようとしますよね。

そして「あーなるほど!これは間違いなく事実だ!」
って根拠が見つかったらそれを事実だとするわけですが、これもまた別の証拠やデータで、あっさり覆されちゃうわけです。

思考で作り上げた“真実”って、実はけっこう不安定なんですよねー。

「じゃあ、ほんとの真実ってどこにあるのよ!」
って感じちゃうのかもしれませんが、ホントの真実なんてものはもう身の回りにゴロゴロ転がっているんです。
みたまま、感じたまま、聞いたまま。
これがもう真実なんです。

それを思考で歪めちゃうから見逃しているだけなんですねー。

ただ感じるだけで、もう十分

思考で何を考えてようが、何も考えてなかろうが、
僕らが「今ここ」にいる限り、確かなのは、解釈以前の“感じていること”だけなんです。

暑いとか寒いとか、風が吹いたとか、お腹が減ったとか。
これらはすでに解釈が入っちゃってるわけなんですが、
思考であれこれ意味づける前の感覚は、もうすでに真実としてここにあるんです。

でも、僕らはそれすらも思考の世界に引っ張って、
「これはこういう意味なんだ」とか、夢の中に持ち込んじゃうんですよね。

もちろん、思考がダメって話じゃありません。
夢を見るのを無理にやめなくてもいいんです。

ただ、
「あ、また夢を見てるな」
ってふと気づいて、意味づけを外して、ただ感じてみる。

それだけで、僕らはいつでも“まったき真実”に触れられるんです。

 

 

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