Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは思考を買い被りすぎなのかもしれないね

・はじめに

はーいどうもー!
タクさんです。

さてみなさん。考え事を楽しんでますか?
いろんな夢想を思い浮かべ、イメージを膨らます。
これってね。僕らに与えられた特別な楽しみの一つなんだと思うんです。
ですのでね。
あれこれと考えるというのは、そもそも僕らが楽しんでいるんだって思うんですよね。

ネコが自分の尻尾を追いかけ回したり、猫じゃらしに飛びついて遊ぶのと似たようなもので、本気になって遊ぶほど楽しめちゃうんですよね。

ただ、本気になって楽しむあまりに、僕らはその楽しみを苦しみという錯覚に変換しているのかもしれません。

例えば、考えごとにとらわれちゃうことってありますよね?

「あの時ああしていれば…」とか「これからどうしよう…」とか。
そういう思考って、なんか気づいたらずーっと頭の中で回ってたりするものです。
嘘も何度も繰り返せば、本当に聞こえてくるっ!ってなもんで、
何度も頭の中で回れば、回るほどなんだか真実味が増してきたりしてねー。

で、それを「もう考えるのやめよう!」って思っても、
逆に余計に気になっちゃったりしてね。

そして、これはマズい。
思考を手放さなければ!ってなったりするんですが、
今度は手放そう!手放そう!とするほどに、余計に掴んじゃったりするんです。

・思考を買い被りすぎなのかもしれないね。

たとえば、「この嫌な気持ちを手放したい!」って思った瞬間に、
もうその気持ちにめっちゃ集中しちゃってたりするんです。

ほら!寝付けない夜とかって「寝よう寝よう!」って思うと寝れないじゃないですか。
あれと似た感じなのかもしれませんね。

そもそもなんですが、僕らは思考をちょっと買い被りすぎなところがあるのかもしれません。
思考に真実味を持たせるあまり、思考を真実だという錯覚に陥りすぎてしまっているという感じです。

思考が真実であるはずがないんですけどね。
そう思うあまり、深刻さが大きくなっちゃってるというわけです。

そもそも夢想遊びの延長線上にあるようなものですので、
別に「手放さなきゃ!」って焦らなくてもいいんですよ。

「まあ、あるよねーこの思考」くらいに暖かく見守ってあげるくらいでいいんです。

・お気楽に構えてみる

瞑想とかをやってる人は経験あるかもしれないですが、
「思考を止めなきゃ!」って頑張るよりも、
「おお、また考えごとが浮かんできたぞー」くらいのスタンスでいると、
意外とスルッと抜けていったりしますもんね。

考えちゃダメ!って戦うんじゃなくて、
「お、また登場したな!」ってちょっと面白がってみればいいんです。

そうすると、思考も意外と勝手に消えていきますし、そもそも思考を深刻に捉えなくてもいいってことが、腹落ちしてきます。

結局のところ、思考って湧いては消えていくものであって、どんな思考にも価値の差なんてないんです。

「この考えは重要だ!」って握りしめたり、「消さなきゃ!」って戦ったりしなくてもいいものなんですよねー。

あくまでもツールですからね。
ツールに支配される必要なんてないんです。

 

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