はじめに
はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
いやー。
今僕が住んでいる家なんですけどね。
屋上があるんですが、
天気がいいと富士山が見えるんですよねー。
透き通った空の日は、富士山を眺めて楽しんでおります。
ま、ちっちゃく見えるだけなんですけどね。
やっぱねぇ。
屋上はなんかプライベートビーチならぬ、プライベート外!
って感じで、なんだか気持ちいいです。
パジャマで外に堂々といられますからね。
普段外にいる時って、ちゃんと外に出られる服を着ますし、
それなりに身だしなみも整えたりしますから、
なんていうか、若干の緊張感がはらんでいるんですよね。
それが、自宅の屋上だと、家にいる雰囲気の状態で外に出れる。
っていうのが、なんだか妙なリラックスがあるんですよ。
もうすこし暖かくなったなら、屋上でボーッとしながら一杯やったり、
ブログも屋上でゴリゴリ書いてみたいなあって思っています。
目を向けたものは外側にある
さてさて、
富士山でもなんでもそうですが、
僕らは目を向けたもの。注意を向けたものをみていますよね。
そして、目を向けたものや注意を向けたものというのは、外側にあるという感覚を感じるわけです。
当然ですよね。
遠くに富士山が見えるのであれば、今見ている富士山は遠くにある!
と考えるのが普通ですもんねー。
あらゆるものもそうやって、外側にあるという感覚で見ているわけです。
でね。そうやって外側をみている時に、忘れているものがあるんです。
それが内側の感覚なんです。
気づきがあるから対象をみることができている
ま、そもそも、内と外はないんですが、
それを言ってしまうとワケがわからなくなってくるので、
そのことは一旦置いておきますが、
僕らが何かをみているとき、それは気づきがあるからみえているんですねー。
この気づきってなんだ?
って思っちゃうかもしれませんが、
このなんだ?という疑問があると、
僕らは、それもまた、外側をみて探そうとしちゃうんです。
すると、どれが気づきなんだ?
この感覚か?それともこの状態のことか?
ってね。
対象を探そうとしちゃうんですよね。
外側と内側
変な話、心や体を感じている時も、これは対象であって、外側なんですよね。
そして、この外側もまた、気づきがあるからみえているんです。
そこで、ちょっとしたワークをご紹介します。
今、目の前に何かが見えてますよねぇ?
意識も、その何かに向いていると思います。
この意識の方向をね、くるっと180度回転させて自分の方に向けてみて欲しいんです。
みている対象の逆側です。
これはね。
対象じゃ無いから、名前で呼ぶことはできないと思いますが、
うまくいけば、コレが気づきだ!
なんにも無い。そしてなんでも無い。
意識と呼んでもいいし、気づきと呼んでもいいけど、呼んだ時点でこれまた対象になっちゃうわけで、言葉にしようとしてもできない「コレ」。
それが発見できると思うんですよねー。
まったき「コレ」
あるのは、その「コレ」だけなんです。
この気づきだけなんです。
キャンパスがあるから絵が描けるのと同様に、
コレがあるから対象を作ることができていたわけでして、
キャンパスと絵は離れていません。
同様に、対象と気づきもまた離れてはいないんですが、
対象だけにフォーカスすることによってこの気づきが見失われているんですよね。
でも、あるのはこの、まったき「これ」だけなんです。
すると、対象であったあらゆるものもまた、気づきそのものであることも、明らかになってくるんです。
対象は、みてきたものや聞いたこと、そして信じていることによって構成されていますが、そこには明らかさはありません。
ですが、気づきはまさに明らかなんです。
あきらかにはっきりしているんです。明晰なんです。
ちょっと、ややこしくなってきたかもしれませんね。
でも、ちょっと面白いので、このワークを試してみてくださいねん。
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