ただ起こってるだけ~。
とか、
在るだけ~。
とか、
「それ」が在る。
とかね。
ど・な・い・や・ね・ん!
って思う方もおられるかもしれません。
在るだけって何だろう?
って思いますよね。
これって、どーゆーこと?って思うのも、
在るをとらえようとするから???ってなるんですね。
足し算じゃなくて、引き算で考えてみると分かりやすいかもしれません。
「何かが」ある。
「こういうことが」起こっている。
「こんな状態に」なっている。
「自分に」起こっている。
「誰かに」起こっている。
この「」の部分。
これって、ぜーんぶ判断。
レッテルみたいなものなんです。
これをとっぱらっちゃうと、
おこってるだけー。
ただある。
ってなりますね。
うんシンプル!
こういった判断とかレッテル付けをなんで自然とやってしまうのか?
と言いますと、
やっぱり、分離感があるからなんですね。
分離感っていうのは、
分離があるんとちゃうやろか?という錯覚です。
これがもう気づかないくらい板についてるから、
ただ在るだけ~。
ってのが
どーゆーこと?
ってなるんです。
分離感だけがありません。
自我とか執着とかも分離感が作り出した錯覚が元になっています。
それがあたかも力のあるなにかのように装われているだけなんです。
そして、そういった自我みたいなものが起こっていても何の問題もありません。
それが起こっていることに何かしらの影響を与えることは無いんです。
ただ、起こっている事の解釈には影響を与えます。
起こっている事の解釈ってのは、見かけで起こっているように見えている事。
となりますね。
この解釈のことを物語って言ったりしておるわけです。