Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

別にええがな。

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はーい
おはようございます。
タクさんです。

みなさんいかがお過ごしでしょうか?
まー、楽しいことも嫌なことも起こりますよね。

そんなもんです。

ただ、楽しいことは良いとして、
嫌なことっていうのの、別に悪いことじゃないんですよね。

怒りや悲しみ。
これらも悪いもんじゃないんです。
笑って泣いて、喜んでは悲しむのが人生っちゅうもんですのでね。

どうしてもトイレに行きたくなるんです。
って悩むのは変ですよね。
行けばいいやんって話ですし。

同様に
どうしても悲しくなっちゃうのなら、
盛大に悲しめばいいんです。

喜びも悲しみも、愛の表現です。
悲しみが悪いことという観念があると、悲しみを苦と受け取ります。
これは悪いこととする観念が見せてる幻想なんですよね。

 

僕らは楽しいこと、好きなことはスッと流せるんですが、
嫌なことに対しては、なんとか変えなきゃならない!
って流せなくなったりするんです。

はぁあああ!
あの時、楽しかった。
どうしよう。またあの時の楽しいことを思い出しちゃった。
どうしたら思い出さなくなるんだろう。。。

ってねぇ。
そんなことではあまり悩まないじゃないですか。

別にええがな。
って話ですもんねぇ。

そもそも内容がどうであれ、
何かを思い出すのに、なんら問題はありませんよね。
ただ、ずーっと思い出にふけってると、
めのまえの今がおざなりになっちゃうので、
良い加減目を覚ませよっ!
ってことになると思います。

でも、嫌なことを思い出すことについては、
どうにもそれを問題だと捉えちゃうんですよね。

でも楽しいことを思い出すのも、嫌なことを思い出すのも、
起こってることは、単に思いにふけってるということですので、
同じなんですよね。

なので、
「別にええがな」
って話なんですよ。

ただ、楽しいことを思い出しているときは、
体も緩んでいてリラックスしているのに対して、

嫌なことを思い出しているときは、
体はどこか不必要な緊張感を帯びてるんです。

そして、その体の緊張感を伴って、
その嫌なことを体験として反芻しているんです。

そりゃ、しんどいですよねー。
なので、この起こってくる思いを抑え込もうとしちゃったりもするわけです。
ただ、もう起こってる思いですのでねぇ。
抑え込もうとすればするほど、

「えーっと、何を抑え込むんだっけ?あ、あのことか!」

と、わざわざ思い出すことをしてるってなことでもあるんですよねー。

なので、余計に抵抗感を感じちゃったりもするわけです。

だから、嫌な思いが起こってても
別にええがな
って起こってることを許してあげたら良いんです。

抑え込まなきゃ!という思いが起こったとしても、
それも単に起こってるだけですので、
それも、
別にええがな
で許してあげちゃえば良いんです。

あなたは単にそれを観てる者ですからねー。
そして観てる者の中には、良し悪しの判断も無いんです。

観る者に立ち戻る入り口となる言葉が、
別にええがな
なんですよねん♪

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