Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今しかないから、今だけをすでに生きてる。

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へいへいへーい。
おっはようございます。
タクさんです。

実際にあるのは今だけですよねぇ。
そして僕らは、何をしてようが、何を考えていようが、
今この瞬間だけを生きてることには変わりはないわけです。

ただ、僕らの思考は、この今の瞬間を掴み取ることはできません。
なぜなら、思考は見てきたことや聞いたことを参照しないと機能しませんからねー。

ちなみに、悩み事や、不安も、この思考の中にしかありません。

誰かから言われた嫌なことも、過ぎ去っちゃうと、それは記憶の中にしかないわけです。

掴みとってる思いや感情も、記憶の中にある過去のイメージからくる反応でしかありません。
この、過去のイメージに実体性を持たせると、現実感として感じたりするわけですが、頭のイメージの中でどんなストーリーを展開させていたとしても、実際にあるのは今だけなんです。

 

そしてねー。
僕らの命のエネルギーも、湧き上がってくるワクワクも、
今にしかないんですね。

ワクワク感を感じたいなら、いつでもどこでも、今、感じられるんです。

僕らはついつい、この先、何かしらの思考にハマった時に使えるように、
なーんて思っちゃったりして、この今にある感覚をなんとか掴んでおきたくなるものですが、それは掴めないんですよねー。

今ここに戻ってくるための秘密のステッキは存在しないんです。

つかもうとした瞬間、過去のイメージに引っ張り込まれてしまうんです。

そして、引っ張り込まれてしまいますと、
過去と未来、こうすればこうなるという因果の法則に絡め取られてしまいます。

原因となる因と結果として現れるであろう果。

この二つはどちらも過去の記憶の中にしまいこまれています。

過去の中で巧みに演出された、過去と今と未来というストーリーに入り込むんです。

ちなみに、このストーリーをストーリーと見抜かれていれば、ここに問題は生じないわけですが、ストーリーを現実と切り替えるときに、なんでもないものを問題にすり替えちゃうんですよねー。

なので、問題が起こってるように見えちゃうというわけです。

ですが、どんなにストーリーをこねくり回しても、
せっせと今じゃないどこかに埋没していたとしても、
僕らが今この瞬間を生きていることには変わりありません。

僕らはこの今から逃れられたことなんてないんです。
何かの手順を踏まなくても、
何かしらの修行をつまなくても、
瞑想をマスターしなくても、
僕らはいつでも今に戻ってこれるんです。

そのための一つの扉は、アホになるということです。

それは、何かを掴んで賢くならなくていいということです。

僕もあなたも、本当はアホなんです。
どんなに知識で武装しようとも、その知識は使えないものなんです。
僕らは、その辺の単細胞生物となんら差はありません。
その辺の石ころと僕らの存在に、差があるわけでもないんです。

このことを許してあげられたとき、世界がひっくり返るんです。

何者かになろうとしていた、その何かも全部ここにあったんです。
ここにあるのは、全てです。
全てが循環し表現されているんです。

僕らは何かを手放したことも、何かを手に入れたこともなかったんですよねー。

これが明らかになっていくとき、アホとカシコが逆転するんです。

知識を積んで、何かを得た代わりに、得たもので息苦しくなってたことを知るんです。

あー、本当にアホでよかったんじゃん。
と、よりアホさを受け入れられたとき、

ここには、アホもカシコもなく、
聖者と愚者とに価値の差もなく、
そもそも分離なんてものも存在しておらず、
分離のなさを理解なんてできるはずもないことが、
明らかになるんですよねん。

多分それが智慧なんだと思います。

いや、知らんけど、、、、。

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