Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を大切に扱うことって、自然を大切にすることと同じかもね。

はじめに

どもー!散歩大好き!
タクさんです。

散歩してて思うんですけど、
自然って、やっぱいいですよねー。

青々とした木々を見ても、川がトロトロ流れているのを見ても、なんか心がふっと軽くなる感じがします。

青空なんてやばいですよねー。
あの色、なんて綺麗なんだろう!って思いますもん。

そしてそこにいる生き物たちもいいじゃないですか!
生き物ってみんな可愛いですもんね。

だからこそ、
森林がゴッソリ伐採されていたり、川にペットボトルがポンポン捨てられてたりすると、気分がいいものじゃありませんよねー。
「いや、それやめようよ…」「大事にしようよ…」って感じちゃうものです。

僕らって、自然に対してはけっこう素直に「大切にしたい」って気持ちが湧くんですよね。
理屈じゃなく、なんか本能的に感じるものなんじゃないかな?って思います。

自分の体って、実は“自然”そのもの

ふと視線を自身の内側に向けると、この体だってめちゃくちゃ自然なんですよね。

呼吸は勝手に起きるし、心臓は勝手にドクドクして、食べたものも勝手に消化されてる。

もうフル自動。完全自然製品。
​​その様子はもう完全なハーモニーを思わせてくれます。

僕らはついこの体を「自分が管理してるもの」みたいに扱いがちですが、よくよく観察してみると、管理なんてしてないですし、ほぼ何もしてないんです。

嫌な気分やモヤモヤも“自然現象”だったりする

心もまた自然に起こります。

嫌な思い、イライラ、ズーンと落ち込むやつが出てくると、すぐに原因を探して対処しよう!ってなモードに入っちゃいますが、
ちょっと静かに観察してみると、これも体の中で起きてる「感覚」なんですよね。

胸がぎゅっとしたり、胃がムカムカしたり、背中が固くなったり。
つまり、心の出来事だと思っていたものの多くは、実は体の反応としてこれまた自然に現れているんです。

そして「嫌だ!消したい!」って思っているその感覚も、自然に起きているんですねー。

森林が風で揺れるのと同じように、
川が雨で濁るのと同じように、
僕らの内側でも揺れや濁りが自然に起こっているんです。

「嫌な記憶から来てる感覚」だって、まさしく今の感覚です。
記憶は過去でも、感覚は今にしか現れません。
つまり、それすら自然の一部なんです。

自分だと思っていた“心と体”は、自然と同じ営み

僕らはつい、「自分」という何か特別な存在が心と体を動かしてるように思いがちですが、心も体も自然と同じで、勝手に流れ、勝手に動き、勝手に反応しているんです。

ですので、自然と同様に心や体も大事にしてあげたらいいんです。
それが、嫌な感覚だとしても、大事にしてあげるんです。

すると、感覚に貼り付けた架空のレッテルが剥がれ落ち、本来の姿を表してくれるかも知れませんよー。

 

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