Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

老賢者みたいなカメと、思考ちゃんの世界。

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

うちにはねぇ。
飼い始めて30年近くになるリクガメがいるんですけどね。
そのカメが、たまに首を伸ばして遠くを見つめてる時があるんですよ。

もうその様子はまるで全てを見通している老賢者のような佇まいです。

シワシワの顔をして口を真一文字に結び、さぞかし深ーいことを考えてそうな表情をしてますが、そのあとバタバタと歩いてひっくり返ったりしてますので、きっと何にも考えてないんでしょうね。

この30年の間は僕にもやっぱりいろんなことがあったわけでして、
「これはピンチだー!」ってなったことも数知れずなわけですが、
そんな時は、カメの様子をみながら、
こいつは何の悩みもなく、呑気でいいなぁなんて思ったことも多々あります。

反面、やっぱりどこかで、
「カメはなーんにも考えてないから、わからんのだろうなー」
なんてね。
そんな思い上がりもあったりしたわけなんですが、
よくよく考えてみると、カメの方が僕ら人間より覚めている。
つまりは、目覚めているって思うんですよね。

カメの方がまさに「いまここ」に立脚し、「いまここ」で生きているのかも知れませんね。
僕らは、思考の中のイメージに固執し、そんな思考の中で人間だけが万物の霊長などと嘯き思い上がっていたのかも知れません。

なんせ、カメは変温動物ですからね。
気温の変化もあるがままに受け止めます。

暖かくなったら活発に餌を探し求め、寒くなってきたなら特に何も食べずにただじっとしております。
そこに一切の文句も言わず、おとなしい顔で受け止めてます。

僕らはちょっと寒くなってきたらガタガタと震え出して着込んだりあたたまったりしますもんねー。

あるがままが極まっておりますね。

思考の世界はエンタメだ

まあとは言ってもですねぇ。
やっぱり思考の中で世界観を作り、それを共有することができるっていうのは、とっても面白いことでもあり、そんな世界って儚くも愛おしいものだよなーって思うんです。

思い出だって思考があるから、そのエモさを楽しむことだってできるわけですからねー。

思考の世界はあまりにも魅力的で、あまりにも面白いので僕らはそれにのめり込むわけです。

僕も結構凝り性なタイプですので、結構いろんなことにのめり込んだりしています。
そこで、うまくいかないことに試行錯誤をするのも楽しいですし、
解決したら嬉しいですもんねー。

よし!次は何を試行錯誤しようか?ってなものです。

だから思考を捨て去らなきゃいけないってわけじゃないんですよね。
普通に楽しめばいいですし、実際僕らは苦しんでいるように見えて楽しんでいるのかも知れません。

また僕らって思考を掴んでるようにみえて実際には掴んでないんです。
なんか、そんな気にさせられてるだけなんです。

例えば、夢だってそうですよね。
寝ている間はそれが現実かのように見えてるじゃないですか。
これだって、そんな気になっているだけなんです。

いまここの感触があらわになるとき

だから、思考を捨てなきゃならないってわけじゃないんですが、一旦ちょっと置いておいてみようってことなんです。

そうすると、思考は思考であり、「いまここ」はこんな感じってのがあらわになってくるんです。
「あ、知ってたわ。この感じ」ってなもんです。

カメも木々も、風や香りでさえそんな「いまここ」にありそこに一切の隔たりもないんです。
思考ちゃんは全てを分割することでしか物事を捉えられないから見えてなかっただけなんですが、そんな「全て」を僕らは今も感じとっているんです。

 

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