Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分の都合に縛られる仕組み

はじめに

どもー!
タクさんです。

さてみなさん。
いきなりですが、
「動物でよかったなー!」って思いますよねぇ?

いや急に何の話よ…ってツッコミが飛んできそうなんですけど、
よく考えるとこれ、僕らが「自由」ってものをどう捉えてるかの話につながってくるんです。

動物でよかったなー!っていうのは、
ほら、人間って動物の一種じゃないですか。

つまり動く物ですよね。

大体生物って動物か?植物か?に分かれるじゃないですか。

植物じゃなくて動物でよかったなぁー!って思いません?

だって、「木」って僕らからみるととても不自由に見えますもんね。

根付いちゃったら、もう一生この場所ですもんねー。
動けないのってすごく不自由に見えます。

やっぱり不自由って嫌ですもんねー。
どうせなら自由でありたい!そう思うのが僕らの性(さが)ってものです。

自由を求めるほど不自由になる?

昔から人は罪を犯すと牢屋に閉じ込められたりします。
今でもそうですよね。

これって、人の自由を奪うっていうことになります。

こういう罰が与えられるというのも、ぼくらは自由を奪われるのがキツイってことですもんね。

だからこそ僕らは自由を求めますし、
つねに、「こうなったらもっと自由に動けるんだけどなー」ってなことを考えがちだったりします。

ですが困ったことに、こうなったらもっと自由だ!ってね。
自由を追求すればするほど逆に不自由になったりするんですよねー。

これって、「こうなったら自由だ!」っていういわゆる自分の都合ってなものを作っちゃうことで、都合に合わないこと=不自由さに苦しんだりするんですよね。

木のほうがよっぽど自由説

つまり、思考の中で自由を求めるほどに不自由になる。
ってなことになっちゃうんです。

自分の都合ってなものにこだわればこだわるほど不自由になるとも言えるかもしれませんね。

ちなみに思考ちゃんが考える「自分の都合」は、とっても整合性がとれていて、その通りになるべきものだ!って思っています。
だからこそ、そんな自分の都合が脅かされるのはとっても困るし、そんなの間違ってる!って思ったりもするものです。

そういう思いによって余計に不自由感を感じられるってことなんです。

そうなると実は「木」のほうが自由なのかもしれませんね。

動けた方が便利なんだけどなー。ってなことを多分「木」は考えていないと思われます。
ということは、不自由だという考えを持っていないということですもんね。

だから、不自由を感じていないということなんです。
ということは自由気ままということになります。

つまり、自由とは何かしらの条件によって得られるものじゃなくて、不自由という思いを持っていないということになるわけです。

この不自由な思いというのが、自分の都合という思考であったり、なにかしらの枠という思考にとらわれないということでもあるわけです。

そもそも縛ってなかったんよね

そうなると、
「そりゃーいかん!じゃあ自分の都合ってのを考えないようにすれば自由になれるってことか!」
ってなことを考えちゃったりするんですけどねー。
これもまた、一つの枠になっちゃったりして、もうどうしようもありません。

ですが、よくよく観察してみると、思考って僕らを一切縛ってないんですよね。
ただ思ってるだけなんです。

その思いが縄を持ってきて縛り付けるわけでもありません。

思考ちゃんはただ勝手にしゃべってるだけで、
僕らをつかまえる腕なんて一本もないんですよね。

ただ、僕らがつかまれた気になってただけでして、
そんな本質に気づいていくと、最初から「木」みたいに自由だったんだなぁってしみじみするわけです。

 

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