Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

誰も何もしていない。だからこそ、完全に自由なんです。

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

皆さん、美味しいものを食べてますでしょうか?
好きな食べ物、嫌いな食べ物ってなんですか?

ちなみに僕は食べ物で好き嫌いはほぼ無いのですが、
飲み物で言うとトマトジュースだけは苦手なんですよねー。

これはねぇ。
味がこうだから嫌いとか、匂いがこうだから嫌いとかね。
そんなことじゃないんですよ。

もう口に入った段階で、
「あ!ダメだこれ!飲み込めない!」ってもう体が反応しちゃうんですよね。

別に、自分で嫌いになろうと決めたわけでもありません。
単にそうなってるだけなんです。

トマトは食べれるんですよ!でもトマトジュースがダメなんです。
「なんで?ほら美味しいよ!」「飲んでみ?」って言われたって無理なんですよねー。

なぜなら、自分で嫌いってことにしているわけじゃなくて、元々そうなっているからなんです。

全ては単にそうなっている

また、得意なことや苦手なことってのもありますよねー。
僕の得意の技は「指芸(ゆびげい)」なんですが、これだって別に自分で指芸が得意になろうと決めたわけじゃなく、単にそうなってるだけなんです。

ちなみに事務作業が致命的にダメなんですが、これも子供の頃からそうなので、きっとそうなってるんだと思います。

また、僕は生き物全般が大好きですし、子供の頃から常に何かしらの動物と一緒に生活してきましたし、今もそうです。
これについても、別に自分で
「動物についてはどうしようかなぁ?」
「好きでいこうか?嫌いでいこうか?」って決めたわけじゃありません。
単にそうなってるだけなんです。

人の好みだってそうですよね。
誰にだって、好みの人と苦手な人っているじゃないですか。
これだって単にそうなってるだけなんです。
自分で決めた覚えはありませんもんねー。

全ては単にそうなっているに過ぎないんです。
そして、それ以外にはなりようがないんですよね。

もちろん、嫌いなものが好きになったり、苦手なものが得意になったりすることもあるかも知れませんよ!
あらゆることがちゃんと起こりますのでね。

ですが、今の有り様は単にそうなっている。それ以上でもそれ以下でもないんです。
そして、それこそがこの「今」の完璧性なんですよね。
なぜなら、それ以外はあり得ないからなんです。

誰も何も決めてない

全てはそうなっていて、それは誰も決めていない。
ってなことを聞いちゃうと、
何かしらの宿命や運命があるって感じちゃったりするかもしれませんが、全然そういうことじゃないんです。

なんていうか、シンプルにそうなってる。
って感じです。

例えば、青空を見上げるとするじゃないですか。
すると当然、空は青く見えますよね。

これ、なんで青なんだ?たまにはピンクの日や金色の日もあっていいじゃないか!ってなことで、なんとか空をピンク色で見ようとしてもやっぱり青ですよね。

これってシンプルにそうなってるってだけです。
誰かがコントロールしてそうしているわけじゃないんです。

そしてそう見えたなら、それを変えようがないわけです。

そう聞くとなんだから「自分」にはなんの選択肢もなくとても不自由に感じるかも知れませんね。
でもそんなこともないんです。
全ては完全にあなたの自由なんです。そんな自由を謳歌すればいいんです。
これはその自由を縛る概念は存在しないってことでもあるんです。

これは「自分」という概念も同様です。
あなたは「自分」という概念にすら縛られていないんです。
まったき自由なんです。

でね。
自由に何かをするとするじゃないですか?
それもまたシンプルにただそうなっただけであって、自分や誰かがそうしたわけじゃないんですよねー。

なぜなら、「誰かが何かをした」っていうのもただの解釈であって錯覚みたいなものだからです。
そんな解釈からも僕らは自由なんです。

 

takuteto.hatenablog.com