Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

コントロールしている人はいないのお話

はじめに

いやー。
どうもおはようございます!
タクさんです。

しばらく更新が途切れてしまっておりましてすいません。
ちょっと遅めの夏休みをとらせてもらって旅行に行ってました。

この旅行中にすっかり寒くなってしまいましたねー。
季節の変わり目、みなさんお身体の調子はいかがでしょうか?

さて、
「幸せなら手を叩こう!パンパンッ!」ってね。
そんな歌がありますよね?
みなさん、幸せを態度に示しておりますでしょうか?

まあ、なぜ幸せを態度で示すのが手を叩くことなのか?と疑問に思ったりもするものですが、手を叩いたらパンッ!と鳴る。

これって、当たり前ですよね?
ピロリロリーン♪と鳴る方はおそらくおられないだろうと思います。

そして、さらに当たり前のことながら、パンッと鳴ることを誰かが決めているわけでもありません。
そこに、誰かのコントロールが入り込む余地はないんですよね。

パンッとなるからパンッとなる。
もうこれで完結されていますし、それ以上でもそれ以下でもないんです。

誰も何もコントロールしていない

これってね。
ありとあらゆることでもそうなんです。

今、あなたがこうやってブログを読んでくださっているのも、自分がそうしようと決めてそうしたわけではなく、もうそれが自然と起こっているわけです。
今着ている服だってそうです。それを着るように決まっていた。しかも誰かが決めたわけではなく、自然とそのように起こっただけなんですよねー。

だったら、今すぐ着替えてやるっ!と思って着替えたとしても、それだって勝手にそういう思いが現れ、そのような行動が起こっただけなんです。

思考ちゃんは、そんな風に全てが決まっている中で「どこかに自分がコントロールできることがあるはずだ!」と思い込んでいるんですよね。
「確かに人にコントロールできないことはある!でもそんな中で自分にできることがあるはずだ!」
って思うわけです。
そして、そんな思いもまた誰かがやっているわけではないんですよねー。

手を叩くとパンッ!となる。というのと同じなんです。

思考の錯覚

思考の中では、自分で決めて、自分の意思で何かしらの行動をしていると思い込んでいるだけなんですよねー。

それは錯覚なんです。
この錯覚から発展して、何かを自分が決定するときに、この行動によって後悔することにはならないだろうか?と不安になったり、
この決定は正しいのか?間違っているのか?と思い悩んだりすることも起こるわけです。

こんな思いだって自分がその思いを作り上げているわけじゃないんです。
自分という存在自体もまた思いの中で勝手に起こっているだけなんです。

ですが、思考ちゃんはそのような錯覚をするようにできているので、思考の中でその錯覚を取り払おうとしても無理なんですよねー。
「よし!この錯覚を思考の中から取り払うぞ!」という思いもまた勝手に起こっているだけだからです。

よーく観察してみると、次にどんな思いが湧いてくるのか?なんて自分でコントロールすることなんてできないし、思いが湧いてくる前にあらかじめそれを決めている存在なんてどこにもいないことが見てとれるかもしれません。

僕らはそんなあらゆることにただ気づいているだけなんです。

 

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