Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不安も欲も、ただの“名もない気づき”なんです

はじめに

はいどうもー!
風邪を引いたらぎっくり腰になってしまったタクさんです。

なぜ、風邪でぎっくり腰に???ってなっております。

皆さん、お身体ご自愛くださいませ!

さて、
たまに「タクさんはもう不安になったり、嫌な気分になったりしないの?」
って聞かれたりするんですけどねー。

んなーわけないんですよね。

べつに不安にもなるし、嫌な気分にもなるんです。
でもそれでいいんですよねー。

ちなみに、僕らが不安だとか嫌な気分だと感じていることって、
実際は、ちょっと違うんですよ。

不安だと解釈される以前に感じている名もない感覚みたいなものがただ起こっているだけなんです。
それが不安だと解釈されて、そこを起点としてあれこれと思考のストーリーが湧き上がっているだけなんです。

もちろん、誰でもそういう思考のストーリーは普通に湧きあがります。

湧き上がっていることに気づいているからそのストーリーに注目して入り込んでるわけですからねー。
じつはみーんな、ただそういうストーリーがただ湧き上がってるだけっていうのに気づいているんです。

 ただ、名もない気づきがあるだけ。

夕焼けを見るときには、夕焼けに気づいてますよね。
気づいているからこそ「あ、夕焼けだー!」ってなるわけですから。

この、「あ!夕焼けだー!」ってのは思考がそう喋っているだけであって、実際には夕焼けを見て感じているんです。
この名もない感覚があるだけなんですよねー。

で、その感覚が起こること、そしてこの感覚自体に良いも悪いもないわけです。

不安や嫌な気分も同様で、シンプルに起こっている名もない感覚を、思考のクセが「不安」や「嫌な気分」に置き換えているだけなんです。

これは、コンソメポテトチップスを食べたときに、あ、これはポテチだ!って脳内で訳しているだけであって、その訳されたストーリーにはポテチの味わいや口に含んだ感触は含まれてないんですよね。

「変わらなきゃ!」という錯覚

欲だってそうです。
「欲を捨てなさい」とか言われてたりしますが、これってなんか痩せ我慢して欲求をなんとか我慢して抑えるって感じじゃないんです。

僕らは、実際のところは欲に支配されて何かしらの行動をとっているわけではないんですよね。
そもそも「欲」に支配されてないし、欲で行動してないんです。

ただ、そう解釈されて、まるで欲で動いているかのように見せかけられているだけなんです。

欲を捨てるというよりは、そもそも欲って思考で作られたイメージじゃん!ってただ知るだけなんです。
このイメージは反応で起こっていて、そのイメージを事実と錯覚しているだけなんですよねー。

だから、なーんにも変わらないんです。
ま、変わらない中であらゆることは常に波のように生きているんですけどね。

変わらないし、変わったこともないし、そもそも変わるとか変わらないを判断している観測点自体も存在してないってことを改めて知るだけなんです。

そうすることで、「変わらなきゃ!」という錯覚から目覚めるんです。

 

takuteto.hatenablog.com