Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

どうでもいいって、最高の魔法

はじめに

どもー!
タクさんです。

みなさんご機嫌でお過ごしでしょうか?

ま、機嫌が良けりゃそれで良いし、悪けりゃ悪いで良いですよねー。
どっちでもいい。
つまりはどうでもいいわけです。

まあ、どうでもいいという言葉は普通はちょっとネガティブっぽく聞こえるかもしれませんが、この「どうでもいい」こそ、僕らの人生に感謝と輝きを与えてくれるんです。

というわけで、今日はそんな「どうでもいい」についてお話ししてみたいと思います。

「どうでもいい」って、うまくいってるサイン

皆さんの中で、今「どうでもいい」って思えることありますか?

例えば、お金のことなんてどうでもいいやーって思ってるなら、
それは「自分にとって十分だ」ということですよね。
お金のことをどうでもいいと思えるなんて、もう十分お金持ちなんだな!って思っちゃいますけど、別にお金をたくさん持ってるからとは限りません。
別に金があまりないなら、その範囲でやりゃいいし、足りないなら働きゃいいし、国に頼ったっていい。
ってな感じに思ってる人も結構おられるかと思います。

また、人間関係についてはどうでもいいやーって思ってる人も、
きっとその人の周りにはたくさんの人がいるんだ!ってわけじゃなく、
べつに誰かに嫌われたって、それは相手の問題じゃーん。
人に嫌われようが自分の価値には関係ないよねー。
ってひともいると思います。

つまり、どうでもいいと思えることって、その人にとって問題になっていないと言えるのかもしれませんね。

そもそも「どうでもいい」は意識すらしない

また、呼吸ってのも良い例ですねー。
普段わざわざ「よし、今はうまく呼吸できてるぞ!」「でも明日はうまく行くかなぁ?うまく行かなかったら怖いなぁ」って思ってる人はあまりいないかと思います。
まばたきだってそうですね。
普段は意識してない!って人が多そうです。

そして、意識してないってことは「どうでもいい」ことなんです。

ちょっとした注意点としては「どうでもいいと思おう」とすることじゃないってこと。
「どうでもいい」は頑張ってそう思おうとすることじゃないんです。
だって本当にどうでもいいものは、意識的に探そうとしない限り気づかないですからねー。
つまり「どうでもいい」は、執着がないということなんです。

思考すら「どうでもいい」

でね。実は思考そのものも「どうでもいい」ものなんです。

テレビCMとか、あとで思い出すことほぼないですよね?
思考も同じで、ただ勝手に流れていくイメージにすぎません。
だから、思考の中で起こっている悩みや不安も「どうでもいい映像のひとつ」なんです。

そうなると、もうどれもこれも全てが「どうでもいい」ってことになるの?
それって、人生そのものが「どうでもいい」気がして、なんだか寂しくも感じるし虚しいんだけど?
って思うかもしれません。

でも逆なんです。
どうでもいいからこそ楽しめるんです。

どうでもいい=感謝のかたまり

例えばゲームをしていて、そこで負けても勝っても、結局はどうでもいいですよね。
でもその最中は本気で悔しがったり、喜んだりして夢中になるわけです。

人生もそれと同じでして、
「どうでもいい」という土台があるからこそ、怖がらずに楽しめるんです。
だって、どうでもよくないんだとしたら、怖くてゲームに参加したくなくなるし、
もし、ゲームで負けたら大変じゃないですか。しばらく引きずっちゃうかもしれませんしねー。

どうでもいいからこそ夢中に遊べるわけです。

さらにね。
どうでもいいことって感謝のかたまりなんです。

毎日ご飯が食べられること。
普通に呼吸できること。
体が動くこと、音が聞こえること、景色が見えること。

これらって、当たり前すぎて「どうでもいい」って感じやすいけど、実は感謝そのものなんですよね。

「どうでもいい」という視点を通すと、当たり前に見えてた世界が急に輝き出すんです。

逆に「どうでもよくない」って執着してるときは、こうあるべきだ!とか、比較とか、未来や過去へのこだわりが働いています。

でも、それらはよく見ると実体のない幻想。
つまり、これまた「どうでもいい」ものなんです。

そんな「どうでもいい」に浸ること。
それが救いなんですねー。

どうでもいいからこそ、楽しめるし、
どうでもいいからこそ、感謝できるんですよねー。

 

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