
はじめに
どもー!タクさんです。
人生は選択の連続だ!ってよく聞くじゃないですかー。
進学、就職、パートナー選び、事業をおこす。
そんなあらゆる場面で「その選択が人生を決めるんだ!」と思うとそりゃープレッシャーですよね。
後悔したくないですもんねー。
僕らは常に正しい選択を心掛け、選択に失敗しては後悔し、次は正しい選択をしなければと緊張する。
まるで人生はそんな選択の連続であるかのように感じている方もおられると思います。
でも、ホントのところは選択なんて存在してないんですよねー。
あるように見えて、でも実際はない。それが選択なんです。
たとえば朝ごはん。パンにする?ご飯にする?という悩みが起きたとします。
そして「よし、パンを選んだぞ!」って感覚が起こるわけです。
思考の中では「昨日はご飯だったから」とか「おいしそうなパンが目についたから」と理由が浮かんできたりして、いかにも「私」が選択したかのように見えますが、ほんとのところは「パンになってた」だけなんです。
パンか?ご飯か?だったらそんな大した選択でもないからお気楽なものですが、
これが事業を始めるになると、重たい選択のオンパレードになっちゃいますよねー。
「どうスケールさせるか?」
「資金繰りはどうするか?銀行に行くのか投資家を探すのか?」
「資金を集めるためのプレゼンはどうするのか?」
「人を雇うなら面接で何を見るのか?」
「競合はどう動いているのか?」
「営業プランはどうするのか?」
やることは山ほどあって、選択肢も無限に広がっているように見えます。
しかも「正しい選択をしなければ失敗する」というプレッシャーもついてきますので大変です。
だからこそ必死に勉強したり、話を聞いて情報を集めて、あれこれと比較して、なんとかベストな答えを出そうとするんですよね。
ここって、どうしても「私が適切に選択しなければならない」って思いがちだし、そんな選択を手放すなんてものすごく恐ろしく感じるものです。
でもね。これだって誰も何も選択してないんです。
「流れに任せるのが正解」でもない
「ん?選択してないのなら、流れに任せたらいいってこと?」って思うかもしれません。
でもそれを思ったことすら勝手に現れてるだけ。
投げ出すのも、踏ん張るのも、「流れに任せる」も、どれも同じなんです。
だから「流れに任せるのが正解」って話じゃないんです。
どうしても思考は何を選択したらいいのか?の正解を追い求めることをやめません。
流れに任せるを”選択する”のが正解!ってわけじゃなく、そもそも流れに任せてるんです。
そんな流れの上で、選択している私というイメージが現れているって感じなんですよねー。
圧と後悔の正体
誰も選択していないっていうことを見抜いたら、そんな選択のプレッシャーが消え失せるのか?というとそういうことでもありません。
「あの選択を間違えたから今が不幸なんだ!」
こういう後悔はこれからも普通にやってきます。
「うわー、圧だ!」って感触もちゃんと現れる。
思考ちゃんはそこに毎回反応してきます。
そんなのも勝手に現れているだけなんですが、
「現れてるだけってわかれば解放される」って感じでもないんです。
そもそも最初から誰も縛られていないことを知るんです。
つまり僕らはすでに解放されていたんです。
そんな解放の中で、圧はこれまで通り現れるし、思考ちゃんは反応し続けるんです。
でも圧が来ること自体、別に問題じゃないんです。
その圧は、よーくみてみると圧じゃないんですよね。
しっくりこない衝動
すべては単に「そうなっただけ」とも言えます。
とはいえ「そうなっただけ」と言われても、なんかしっくりこないですよねー。
「いやいや、もっと理由があるはずだ!」と探したくなるものです。
その「しっくりこない!」という感覚がいわゆる“探究のエネルギー”ってやつでして、
そこからストーリーが膨らみ、思考が物語を回していくことになります。
僕らはその衝動に乗っちゃうクセがあるんです。このクセだって観察してみれば見抜けます。
「ほえー。本当にホイホイと乗っかっちゃってるわ〜。」ってなもんです。
ただ、そんなクセを治そうとするんじゃないんです。
治す・変えるのではなく、「そういう動きがあるな」と気づいている。
気づこうとするんじゃなくて、すでに気づいていることを改めて知るだけなんです。
すると、これまで見逃していただけの景色がふっと浮かび上がってきてくれます。
この景色こそ、ずっと目の前にあったけど見逃していた景色であり、
もともと知っていた景色なんです。