Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この世は全て自然であーる

はじめに

どうもー!
ガンダムは初代が至高!派のタクさんです。

まー、そんなガンダムなんですけどね。
ちょっと印象的なワンシーンがあるんです。
主人公がスペースコロニー内で出かけていると、雨が降ってくるんです。
そこで彼が

「天気の予定表くらいくれればいいのに」

って言うんですよねー。
へぇー。予報じゃなくて予定表なんだーってのと、そこで起こる不満がちょっと面白く感じたんです。
つまりコロニーの天気は人間がコントロールしてるわけですが、あえて予定は公表していない。
つまり管理者はあえて「自然っぽさ」を演出してるってことなんでしょうね。
にもかかわらず、そんな意図はばれていて「不親切だ!」と不満を持たれているんです。

いつの世も管理者は管理がなってないと批判される立場にあるのかもしれませんねー。

その天気が自然現象だとしたなら「仕方がない」と受け入れるしかなくなります。

でも、人の手が加わると一気に矛先が変わるんですねー。

そんな天気も天気予報が出てくると今度は予報者に不満が出てくるわけです。
天気予報だと晴れだったじゃーん!って思っちゃいますもんねー。

天気予報の精度が上がれば上がるほど、外れたときの文句は強まるというのも皮肉なものですね。

動物のいわゆる獣害にしたってそうです。
動物のふるまいは本来「自然だから仕方ない」と思えるものなのに、
場合によっては「政府が悪い!管理がなってない!」ってなっちゃったりしてね。

そんな感じで、僕らは人と自然を分けちゃったりしているわけですが、人だって自然の一部なのに、いつのまにか「人工と自然」ってな感じで線引きしちゃうって不思議ですよねー。

「べき」という幻想

僕らは自然現象だとそこに正しいと間違いや「〜であるべき」といった概念を当てはめないのに、人がコントロールしていると思った途端、そこに「べき論」を当てはめるんです。
これは、誰かが間違った考え方をした!という思いから来ているのかもしれませんね。

でも人間も自然の一部です。
風が吹く、火山が噴火する、池が凍る。
それは誰かが考えて起こしてるわけじゃない。

僕らの身体だってそうです。
誰かが設計図を引いてこの体を決めたわけでもなきゃ、作っているわけでもありません。
勝手に爪は伸び、食べれば勝手に消化される。

体の感覚もそうです。
冷たいものに触れたら「冷たい」と感じ、熱いものに触れたら「熱い」と感じる。
「よし、今日から熱いものを冷たいと感じるぞ!」って頑張ってみてもできませんからねー。

思考もまた自然の一部

感覚をただなんの意図を加えるでもなく、名付けるでもなくシンプルに感じてみると、自然そのものであることを感じられると思います。
そこには誰のなんの意図もありません。
まさに自然と同じなんです。
そして、そんな自然に身を委ねていると、思考もまた、感覚と同じように勝手に起こっているだけだと気づくかもしれません。

「私が考えている」という思考も、ただ後付けでそう起こっているだけ。
ただ現れては消えていくだけで、誰もハンドルを握ってなんかいないんです。

そして、
よく言われている「私はいない」や、「時間は存在しない」。
あらゆるものはなんでもないもので、なんでもないものがただ起こっていて起こっていない。

そんなよくわからなかった言葉が、「へ?そういうこと?」ってね。
ふっとそんなふうに見えてくる瞬間があるかもしれませんよー。

 

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