Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ネタバレしちゃうと、あなたも私も何もしてないのよねん

はじめに

はいどうもー!タクさんです。
みなさん、最近は映画とか観てますか?
どんな映画が面白かったでしょうか?

なんか気になる映画があったとしたら、

「今度、○○っていう映画を観に行こうかって思うんだよねー!」
「あ!私、その映画観たよー!面白かった!」

といったような会話って自然によくある風景ですよね。

でもその後に、
「主人公がこんな目にあって、実は犯人は恋人で、ここで大どんでん返しがあるのよー!」
みたいなことを言われたらやっぱり
「おいっ!ネタバレすんなよ!!」
ってなりますよねー。

せっかく楽しみにしてた映画を、先に全部バラされたら、面白みが半減しちゃうわけです。

映画は「この先どうなるかわからない」からこそ面白いわけですからねー。
そして人生もまたこれと同じなんじゃないかな?って思うんです。

僕らが人生について悩む時。
どうなるのかがわからないから悩んじゃうわけですが、これはどう足掻いてもわからないんです。
そしてだからこそ面白いわけでして、ついハマっちゃうのかもしれません。

人生もネタバレ禁止

僕らの人生はまさに上映中の映画みたいなものです。
「この先どうなるのかわからない」からこそ、ドキドキしたりワクワクしたり、時には泣いたり笑ったりするわけですねー。

しかも、映画の主人公がどう行動するかを決めているのも僕らじゃありません。
同じように、人生においても「自分が全部決めている」っていうのは、思い込みなんです。
事が起こった後に、これが起こったのは自分がこうしたからだ!
っていう思いを抱いているだけなんですよね。

好きな食べ物や住む場所、仕事や人間関係。
これらもぜーんぶ「私が選んでいる」と思ってるだけで、なんにもしてないんです。
これは思考には行為者が必要だからそれを作っているだけなんです。
だから、このことを思考で理解することはできません。
ですが、理解以前に僕らはもうそのことを知っているんですよねー。

「私」がいるからこそ面白い

そもそも映画でもゲームでも、プレイヤーや観客が「自分ごと」として入り込むからこそ面白いんです。
人生も同じで、「これは私の選択だ!」って思い込むから盛り上がるわけです。
そして盛り上がるうちにそれが強い思い込みになってしまったんですよねー。

もしかしたら、ほんの子供の頃はこの「私」という概念に違和感を感じていたかもしれません。
ですが、毎日繰り返しそう思い込むことによって、強い習慣となり染み込んじゃったんです。

ですが、いくら面白いからといっても、しんどいことも起こるものです。

「しんどいなぁ…」って思うときは、
その「私」って実はただの役柄なんだよー!
ってことを、ふっと思い出してちょっと今に休憩すればいいんです。

映画もずっと観てたら疲れるように、人生もずっと真剣に抱え込んでたら疲れます。
そんな時は、ゆったりと休みましょう。

忘れがちなのが、僕らが「人生」って呼んでいるものは、すべて過去のものなんです。
思考も全て過去のものであって、今ではありません。
その過去は、イメージでしかなく実際には今ここに存在していません。

実体としてあるのは「今」だけなんです。

 

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