Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

寝言が教えてくれる思考の正体

はじめに

どもー!
タクさんです。

たまになんですが、寝てる時に自分の寝言で目が覚めてしまう。
なーんてことありませんか?
「わー!」ってなんか言ってふと目が覚めちゃったりしてね。
最初は「うわっ!」ってなるんですけど、そのあと夢だったことに気づいて、そのあとちょっと恥ずかしくなったりするんですよねー。

あの恥ずかしさって、なんでしょうねー。
本気で信じてたのに「夢だった」と気づいちゃって、
「あらやだ、夢なのに本気になっちゃった!大人なのに」ってなかんじなんですかね。

まあ、僕らだけじゃなくあらゆる生き物の可愛らしさってこういうところなんだろなーって思ってます。
木々だって枝を伸ばしすぎて倒れてたりしますし、
猫だって尻尾を追いかけてるうちに本気になって目を回してコテンッと転んでたりしますもんね。

どういう可愛らしさをちゃんと可愛らしいとみること。
なんか、それこそが何か正しそうに見えることを真剣に考えるよりも大事なんじゃ無いか?
なんて思ったりもします。

寝言と頭の中の声は同じ仕組み

そんな寝言なんですが、これって自分で言ってるわけじゃないですよね。
だって、寝てるんですもん。
でも寝言で目が覚めた時は、まるで自分が言ってそれで目が覚めたって思っちゃうんです。
だからちょっと恥ずかしくなったりするわけなんですが、
実際には、自分で言おう!と思ったワケじゃなく勝手に出てきているだけなんです。

これって寝言に限らず、起きているときも同様で、
あれこれと頭の中で出てくる言葉でさえも自分で思ってるわけでも言ってるわけでも無いんです。

ただ、その言葉を聞いているだけなんですが、聞くことによって
「自分が言った!」って思い込んじゃうんです。
そしてこの錯覚が、「私は自発的にそう思っている」という感覚を生んでるんですよねー。

あなたに今現れている思考も勝手に現れているだけなんです。
まるで夜中にふいに出る夢や寝言と同じように。

営業トークに見る錯覚の応用

いわゆる営業テクニックの一つで「イエス・セット法」ってなものがあります。
これは、相手に「はい」と答えやすい質問を連続して投げ、最後に本題の提案をする方法なんです。
心理学でいう「一貫性の原理」ってなものを利用していて、人は自分の態度を途中で変えるのを無意識に避ける傾向があるらしいんです。

思考ちゃんって自分のストーリーに一応一貫性を持たせようとするんです。

たとえば、

「今日はいい天気ですね?(はい)」
「この近くにお住まいですか?(はい)」
「もしお得だったら欲しいですよね?(はい)」

こうやって“はい”の流れを作ったうえで商品を見せられると、頭の中では「欲しい」と言った事実が残り、「自分が欲しいと思った」という感覚に変わるんです。

これだっていわゆる思考のクセを利用したテクニックなんですが、
はい!と答えている側は、自分でそう思ってそう返事をした!って思い込むんです。

まあつまり、自分で論理的に考えてると思えば思うほど、当てにならんよってことなんですねー。

思考は勝手に起こる

こうやって普段から僕らは、現れる思考について「自分が考えた」と後からラベルを貼ってそう思い込むんです。

それはまさに寝言みたいなものです。

その寝言に乗っかって本気で遊んでみるのも一興ですし、
本気になりすぎたなら、その可愛さを愛でてあげればいいんです。

 

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