Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

やる気に有るも無いもないのよねーん

はじめに

へーい!どうも!
タクさんです。
エアコンでちょっと体がつかれてます。

まー、疲れてる時ってやっぱりやる気が出ないものじゃないですか。
体の疲れって、微妙なもので自分で気づかないこともよくあるんですよね。
もし、なぜだかやる気が出ないってな時は、疲れてるかもしれないって可能性も考慮してみたらいいと思います。
また、疲れっていろいろありまして、体を動かした方が疲れが取れる場合もありますからねー。
ゆっくり寝てても疲れが取れない時は、散歩や軽い運動などをどうぞお試しくださいませ。

まあ、そんなわけで、今日は僕らが常日頃やたらと気にしすぎているこの「やる気」ってのをテーマに書いてみたいと思います。

やる気は印象の集まりにすぎない

そもそもなんですが、やる気なんてものは思考が定義づけたイメージであって、幻想みたいなものなんです。
実際に起きているのは、体が軽いとか重いとか、興味があるとかないとか、気分の色合いが変わるとかね。そういう感覚の変化だけがおきているんです。
そこに思考が「これはやる気がある状態だ」「これはやる気がない状態だ」とラベルを貼っているだけなんですねー。

つまり「やる気」というものは勝手な思考の解釈であって、元の感覚を探ってみると全然別物なんです。印象や感覚の寄せ集めに、後から名前をつけただけの存在なんです。

やる気は「ある/ない」というクセ

やる気って「あると思えばある」「ないと思えばない」っていう判断遊びみたいなものです。
何を持ってあるとするかは思考のクセによるものでしかありません。

でもそう聞くと「そのクセをポジティブに変えれば、やる気に溢れるんじゃない?」って思っちゃうかもしれませんが、そうでもないんです。
常にやる気に溢れる!なんてことはあり得ませんし、むしろやる気ってものにこだわればこだわるほど、やる気に翻弄されるだけなんです。

存在しない「やる気」という現象に翻弄されるほど、やる気がないのをダメだと錯覚し余計にストレスを溜めるだけなんですよね。
それに、“やる気が出ない”や“やる気がない”って、シンプルに心と体が疲れているだけのこともよくあります。
イメージでしかないやる気がないことは全く悪いことじゃないし、むしろ自然な反応です。
そんな時は、無理にやる気を引っ張り出そうとせずに、美味しいものでも食べて、リラックスするのが一番です。
やる気がないと気にするほどリラックスからほど遠くなりますので、百害あって一利なしなんですよねー。

幻想から外れると軽くなる

そもそも「やる気がある/ない」というのはラベルです。
真に受けるものじゃありません。

そんな「やる気」という幻想の支配から外れると、不思議なことに副作用的に“やる気っぽい感覚”が出てくることもあります。
これは、あたかも「お、やる気が湧いた!」と感じるだけで、実際には行動が自然に起こっているところに後から思考が名前をつけているだけです。
これもまたある種のストレスから解放されることによって起こるラベルの一種で、実体ではありません。

本当は、行動するエネルギーなんて最初から塞がれてなかったんです。
ただ「やる気」という雲に視界を覆われて、見えなかっただけ。

雲の切れ間から日が差すとき、「太陽が出てきた!」って思うけど、太陽はずっとそこにあった…そんな感じです。

やる気も心の天気も、実在じゃなく印象や物語ですのでねー。
あー、そういう思考がただ現れてるんだなーってなことで、やる気を当てにせず、淡々とやればいいんです。

特に仕事なんてやる気に頼ると余計に不効率になっちゃいますからねー。
そんなもんにこだわる必要はありません。

そして、疲れたなら美味しいものを食べ、散歩をしたりゆったりすればいいんです。

 

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