Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

カテゴリーという悪夢

はじめに

どうもー!
タクさんです。

さてみなさん。
僕らって、常日頃、なーんの悪気もなくあれこれカテゴリー分けをしてるじゃないですか。
「あの人はあっち側」「これはこっちのジャンル」ってなかんじでねー。

でも実は、この“カテゴリー”ってやつ、普通のことで人畜無害ですよーってな雰囲気醸し出してるじゃないですか。
でも実際はロクでもないやつなんですよ。
それは、語源を見てもあきらかです。

このカテゴリーという言葉の語源は「告発」とか「非難」という意味からきています。
本来は人を責めたり断罪するための言葉だったんですねー。

そんな非難や断罪ってね。他人だけじゃなく、自分にもグサッと向かってきますからねー。
他人に向けてるつもりでも、そもそも自分の中にいる他人って自分の投影だったりしますからねー。
自分の中にいる“自分”や、自分の中にいる“自分以外”を、常に非難してしまって疲弊するのは自分ばっかり。
ってなことにもなってしまうんです。

“カテゴリー”の語源は、ギリシャ語 *katēgoria*(κατηγορία)からきています。
古代ギリシャの法廷や弁論の場で、弁論者は広場に集まった人々の前でこう叫ぶんです。
「この人は○○な人間だ!」「こういう悪事を働いた!」ってね。
そして相手を特定の枠にはめ込み、徹底的に非難する。これがまさに *katēgoria* の使われ方だったんです。

つまり元々は「ある枠に入れて規定する=責める」というニュアンスがあったわけです。
そこから時代を経て、非難のニュアンスは薄れ、単に「物事を分類する」という意味へと変わっていきました。
そして、今でもこの枠に自分やそれ以外をはめ込んで、そして嵌め込まれた自分が苦しむ。なーんてことをずーっと僕らはやってたりするんですねー。

思考の本質はカテゴライズ

まあそもそも僕らの思考ってのはほとんどがこの“分類作業”でできています。
思考はカテゴリー癖から離れられないんですよね。

誰かの発言を聞けば「賛成派か反対派か」、初めて見る物を手に取れば「好きか嫌いか」。
ってなかんじで無意識にラベルを貼りつづけているんです。

とはいえ、これは砂糖をなめたら甘いと感じるのと同じで、自然な作用ですのでねー。
「もう分類なんてやめよう!」と頑張ってみても、思考の働き自体がカテゴライズすることですので、止めようがないんです。

ただ、思考は「私」ではありませんからね。
「ああ、今分類してるな」と気づいていたらいいんです。

大事なのは思考の幻想を「私」とくっつけて真に受けないようにすることです。
思考ちゃんは仕事熱心すぎて、なんでもかんでも棚に並べたがりますが、その並べ方はあくまでイメージの中で仮にやってるものに過ぎません。

“私”というラベル

僕らはこの分類作業の中で、
「私はこういうタイプ」「あの人とは違う」といったようなラベルを貼り、
そして他人にもラベルを貼ったうえで、比較し、上下をつけたりします。

この構図は政治や社会的立場で特にわかりやすく現れます。
ほら、昨今の政治の話ってめちゃくちゃダルいじゃないですか。
やたらとSNSもその話題で持ちきりで、
右だの左だの、保守だのリベラルだのって互いに“非難”しあうような構図が生まれ、同じカテゴリーの中でもさらに細分化された派閥に分かれて争ったりしてますもんねー。

ほんとダルいですよね。

政治だけじゃなく、趣味、仕事のスタイル、好きな食べ物、使っているスマホのOSに至るまで、あらゆる場面でカテゴリー合戦は起こってるんです。
そして、自分が属しているカテゴリーの価値を否定されそうになると、防御反応のように反発や不安が湧き上がるんですよね。

カテゴリー化された“私”が損なわれると感じるとき、僕らはそこに恐怖や苦しみを感じるんです。

ま、詰まるところ、僕らの苦しみはそういった悪夢のような夢から発生しているということなんですね。

思考の都合に振り回されないために

カテゴリーやラベルは、確かに便利に見えるかもしれませんが、それは思考にとっての都合の話なんです。
現実の“コレ”にとっては、便利も不便もありません。

だから大事なのは、思考のカテゴライズが起こっていても、
「今日も頑張ってるねー」って感じでいい感じにスルーしておけばいいんです。
そして、カテゴライズによって恐怖や不安に陥っている自分に気づいたら、
「でたでた!ザ・カテゴライズ(笑)」ってな感じで、あまりのめり込まないことです。
それは悪夢の中で必死に反応しているようなものですからね。

悪夢だとわかれば、無理に戦わなくてもいいし、何かを正そうとしなくてもいい。
ただ目が覚めれば、そこには告発も非難もなく、静かに現れている今があるだけです。
その今にカテゴリーも分類もないんですからねー。

 

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