
はじめに
どもー!
タクさんです。
僕らって、ずっと「マインド」つまり思考ちゃんに支配され続けてるんです。
しかもやっかいなことに、その支配に気づいてすらいないことが多いんですよねー。
朝起きた瞬間から頭の中は大忙しだったりするじゃないですか。
「今日は何をしなきゃいけないんだっけ」「あの人にあんなこと言っちゃったな」「このままで大丈夫なんだろうか」
そんな声が休む間もなく鳴り響いていたりするものです。
そして僕らはそれを「自分の声」だと思い込んでるんですよね。
この支配がふっと緩む時。
僕らは、自分の内にずっとあった「静寂」を知るんです。
ここでいう静寂は、音が一切しないことじゃありませんし、思考が消え失せることでもありません。
思考や感情や心。それらの支配力がスッと抜けることなんですよねー。
そうなると頭の中の雑音が雑音ではなくなる。
静かじゃないけど、静かになるんです。
そしてココに元々あった平安を感じるんですよねー。
平安は「状況」が運んでくるんじゃない
たとえば欲しかったものを手に入れた瞬間って平安を感じることがありますよね。
でもその平安は、ものを手に入れたからじゃないんです。
「まだ手に入っていない!」という思考の支配が緩んだから 平安を感じられているんです。
だから、手に入った途端、それが色褪せ始めて、今度は次の欲求に移っちゃったりするんですねー。
平安は外側の状況から生まれるんじゃありません。
元々、僕らの内にあるものなんです。
それをマインドの雑音がかき消しているって感じなんです。
「私」という錯覚がほぐれ、本質に溶けていく
このとき僕らはこの平安はずっとここにあり、これこそが私の本質だったんだってことを感じ取るんです。
これまでの「私」って、思考や感情、肩書きや所有物で作られたイメージだったんですよね。
でも支配が緩むと、その枠がスッと外れていくんです。
元々そんな枠なんてありませんからね。
そして「自分」という枠がはずれ全体に溶け込むんです。
思考ちゃんが支配している間、僕らは時間に縛られています。
そんな時間という枠からも解放されていくんですよねー。
だから、今しかない。みたいな表現がなされているというわけです。
僕らの本質は、感情や思考や心そのものじゃありません。
それらをただ観ていたんです。
観ようとすらしていなくて、ただ気づいているだけ。
そしてその気づきになんの定義も判断もしていないんです。
これが「起こっては消えていく、ただそれだけ」ってことなんです。
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