
はじめに
どもー!
タクさんです。
さて、日本の偉人と言えば誰でしょう?
いろんな偉人がおられるかと思いますが、
そんな偉い人の一人として、今日はみうらじゅん先生のお言葉を紹介したいと思います。
偉人みうらじゅん先生は、
日本が誇る脱力系の巨匠にして、
「ゆるキャラ」「マイブーム」など数々の流行語の生みの親であられ奉ります。
そんな先生がかつて提唱されたお言葉の一つに
「非核三原則」ならぬ、
「比較三原則」という言葉があります。
この比較三原則とはどういう原則かと言いますと、
・他人と比較しない
・親兄弟と比較しない
・過去の自分と比較しない
です。
まあねー、
そもそも僕らの苦しみの大半って人間関係になってくるんでしょうけど、
その中でも比較によって苦しむことって多いですよねー。
「あの人はもっとちゃんとしてるのに…」
「うちの兄はもっと出世してるのに…」
「昔の私はもっとがんばれてたのに…」
どれもこれも、冷静に見ればただの“設定”なんですけど、
その設定を「本物」と信じちゃうと、しんどくなってくるわけです。
比較は便宜上使われるけど真実ではない
僕らが何かを判断するときって架空の基準を作るんですよね。
白い雲を「白い」って感じるのも、たぶん青い空が背景にあるからですもんね。
でも、その「雲」と「空」も、ほんとは分けられないんですよ。
空と雲って、どこからどこまでが雲でどこから空?ってハッキリ線引けるわけじゃないんです。
それを「これは雲!」「これは空!」って分けてるのは、あくまで便宜上の話なんです。
そもそも、比較って全部、便宜上なんです。
で、それを僕らは、
「自分 vs 他人」とか、「今の自分 vs 昔の自分」みたいに、
リアルな対立構造として使っちゃってるんですよねー。
比較すると“自分”はいつもピンチに置かれる
SNSなんかでもそうじゃないですか。
キラキラした投稿をみたり、素敵な場所でランチする投稿を見たりして、
「なんか自分だけ置いてかれてる気がする…」ってな話はよく聞きます。
でもそれって、「他人」という幻と、「自分」という幻を比べて、
「こっちの幻の方が上」とか「下」とか言ってるだけなんですよね。
でね、この比較の概念を自分に当てはめることで避けられないのが、
自分は劣っているという思い込みです。
あれ?なんで苦しいんだ?と感じた時は「比較三原則」
僕らは知らず知らずのうちにどんどん比較の概念に巻き込まれちゃいますからねー。
そんなときには、みうらじゅん大先生の「比較三原則」をちょっと思い出してみましょう。
あ、そうだった、
「比べないでいいんだった」って思い出すだけ大丈夫です。
他人と比べる必要もないし、親兄弟と張り合う必要もない。
そして何より、過去の自分と比べることすら、不要ですからね。
そもそも過去の自分なんて、どこにも存在してないお化けみたいなものですからね。
あなたはそもそも
今ここに在るだけで、もう十分なんです。
僕らはもう子供の頃から比較にさらされ、比較の概念を叩き込まれてきちゃったせいで、ほんとクセみたいになってるんですよね。
だから気づいたら無意識にやっちゃうんです。
「あ、また比べてるわー」って気づいたときにはちょっと笑ってあげましょう。
深刻に「比べちゃダメだ!」ってなる必要はありません。
そうすると、前の自分よりはうまくなってきたぞ!って
妙な比較をやり出しかねませんのでね。