
はじめに
オハです!
みなさん、今日はいかがお目覚めでしょうか!
どうも!タクさんです。
最近はあまりお目にかからないのですが、
昔、手かざしってのが流行ってたの知りませんか?
なんか普通に道を歩いてたら、
すいません。「お祈りさせてもらえませんか?」
って声をかけられて、なんか顔に手をかざされるんです。
僕も面白半分に友達とやってもらったことがあるんですけどねぇ。
なんか、目を瞑ってるのに明るくなった気がして、ぐわんぐわんってなったんですよねー。
そして、お祈りしてたおばちゃんに、
「今、光を感じたでしょ?」
って言われたんですが、
「全然そんなのかんじるわけないやーん!」
って必死に否定したのを思い出します。
横にいた友達にも、「おまえめっちゃ揺れてたで!」とか言われて、
「揺れてへんっちゅーねん!アホか!」
って必死に否定してたことを思い出します。
ま、そんな話はどうでもいいとして、
よくスピ系って言っていいんですかねぇ。
そういったお話でも、
「波動が上がった」とか「次元がシフトした」とか「マントラで魂の回転数が上がるとか下がるとか」そんなお話ってよくあるじゃないですか。
僕も、一時期興味を持って、冒頭の手かざしとは全然違うんですが、
いわゆる霊的体験ってのは体験したことがあったりするんですけどねー。
でも、べつにそれが何か人として特別な体験ってわけでもないですし、
ましてや、それといわゆる「悟り」や「非二元」や「大元のコレ」とは全然関係ないですよーってなことをテーマに書いてみたいと思います。
スピリチュアル体験になんら特別さがあるわけではない
よくありますよね。
・浄化とか
・エネルギーワークとか
・チャクラを開くとか
・マントラ唱えて何かを整えたりどこかに到達する
と言ったお話。
でもこれらって、ここでお話しているいわゆる非二元や大元のコレとは全く関係のないものなんです。
そもそも、これってどこかに到達したり、何かが変わるってことじゃありませんからねー。
いわゆるスピ系の話は、野球やサッカーがうまくなるとか、あやとりが上手になるとか、
技術や経験を経て「できるようになる」と言ったものと同じ類なんだと思うんですよ。
興味があったり楽しければ別にいいと思うんですが、
それは別に特別なわけでもなけりゃ、何かしらの価値があるわけでもないんです。
べつに悪いってわけじゃないよ
言っておきますが、
別にスピリチュアルな体験や修行がダメってことを言いたいんじゃないんです。
ただ、それをしたからといって「コレ(大元の真実)」に近づけるとか、
レベルアップして“悟り”に近づく、みたいなことじゃないんです。
ややこしいのは、悟りの体験なんかも「コレ」と絡めたお話があったりするんですけどねー。
でもそう言った体験も全然「コレ」とは関係ないんです。
むしろ、そういった話と混同すればするほど歪んじゃうので、
そういうのは持ち込まないほうがいいんですよねー。
そもそも到達するべき「場所」なんて、最初からないわけですからね。
コレは、何もしていないときにもある
この「コレ」ってやつは、
山の上でも、瞑想中でも、エネルギーが整ってるときでもなく、
テレビ見てポテチ食べてるときも、
「ムカつことがてんこもりやでー!」って舌打ちしてるときも、
ただただぼーっとしてるときにも、ずーっと在るものなんです。
しかも、気づかれようが気づかれまいが関係なしに、ずーっとそこにあるんです。
だから、どんなスゴい修行をしたって、
どんな神秘体験をしたって、
「コレが手に入った!」ってことは起きないんですよね。
手に入った!と感じたならそれは錯覚なんです。
ですので「いわゆるスピリチュアルな修行とコレは違う話」なんです。
修行や体験を通して「なんか深い静けさに触れた気がした」ってことはあるかもしれません。
でも、それもただの「気がした」という現象です。
結局は、なーんにもしてなくても、
最初からずーっと「それ」だったんだなぁってことに、
そしてずっとそうだったよなーって改めて知るだけの話なんです。
誰かが知るわけじゃありません。その「知」もまたずっとココにあったんです。
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