Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

表もなければ裏もなく、ポジもなければネガもない

はじめに

はいはいどうもー!
タクさんでございますよ。
どうもおはようございます!

しかしまぁ、生活してるといろんなことがありますよねー。
良いことばかりだと退屈しちゃいますが、
嫌なことはやっぱり嫌なもんですよね!

そして、嫌なことを無くそうと頑張れば頑張るほど、
それはそれでうまくいかなかったりしてね。

きっと、それが人生の醍醐味の一つなんだと思います。

でね。
そんな普段の僕らの世界というのは、思考のストーリーみたいなもんなんだよーって話をよくしているわけなんですが、
このストーリーっていうのは、なんていうか「自分の都合」に合わせて作られているんです。

きっと、そんなお話しをみなさんもどこかでよく聞くんじゃないかなー?って思います。

おもてたのと違うっ!

でも、普通に考えて自分の都合にあわせてストーリーを作ってるのなら、そもそも悩みなんて起こるはずないじゃん!って思ったりしますよね?

だって、嫌なことも勝手に都合を変えちゃえば良いわけですし。
そしてそれができないからツラいんですよねぇ。

私はバカだ!と思いたくないのに思ってしまうからしんどいわけです。

でもここでいう「都合」って、別に「自分の望み通りの都合」ってことじゃないんです。

ただただ「しっくりくるかどうか」なんですよね。

つまり私はバカだ!が正しいか間違いかは置いておいて、それがしっくりきちゃってるからそう見えちゃうんです。

このしっくり。これが世界を歪ませるレンズみたいなものなんです。

ポジティブな解釈もまた歪みの一つなんです

でね。
そう聞いちゃうと、今度は、そうか!このしっくりレンズ。
これを切り替えなきゃダメなのか!って思っちゃうのが僕ら人間の心情というものです。

本屋さんに行ってもそういう類の本が沢山あるじゃないですか。
なんとか思考!だとか、なんとか力!なんとか引き寄せ!みたいなやつ。
あれって、大体がレンズの切り替えをやろうぜ!系なんだと思います。

ま、いわゆる
「ポジティブ思考に切り替えよう!」みたいなやつですね。

でも、そうやってポジティブにこだわればこだわるほど、ネガティブも一緒に強調しちゃうんですよね。
執着というのは、そういうことなんです。
コインの表側だけを掴もうとしてもむりでして、コインを強く掴もうとする。
すなわち、コインに執着すればするほど、表も裏もつよくにぎっちゃうわけですね。

そして、この表と裏をわけてるのがいわゆる判断みたいな架空のラインなんです。

表もなければ裏もなく、ポジもなければネガもない

でも、そもそも考えにポジもネガもありません。
そして、そのポジとネガを分けるラインすら存在していないんです。

良い思考や悪い思考があるわけではなく、ただそう言った解釈が反応のように起こっているだけ。
しかも実際に起こっているわけではなく、ただ霞のようにあるように見えているだけ。

ホントに起こっているのはただただ、あるがままのダイレクトな感覚だけなんです。
解釈を通さない生の感覚。
その感覚が誰かに起こっているわけではなく、感覚とそれを感じる誰かという境界すらないんです。

あるがままにしておけばいい

ぼくらはついあらゆることに「どうしたらいいの?」って思っちゃったりするわけですが、そう思ったなら、そう思ったなーってことで、そのまんまにしておけば良いんです。
そして、僕らはずっと何かをしているつもりで、ずっとそのまんまにしていただけだったりもするんですよね。

だったら、そんな様子をただみてあげれば良いんです。

それがあるがままです。
あるがままってあるがままにすることじゃなくて、ずっとそうしてたよねっていう気づきなんですよね。
僕らは常にそれに気づいているわけですが、その気づきをストーリーで「上書きし続けていた」だけだったんです。

 

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