
はじめに
どもー!
タクです。
さてみなさん
「自我の消失」っていうじゃないですか。
これってね。一見
「頭の中から“自我”というものが消えるってこと?」
って思っちゃったりしませんか?
言葉通りに受け取ると、今まであったこの「自我」が「消失」するんだー!って思っちゃいますよねー。
どうしたらいいんだろう?
滝に打たれたら消えるの?
って思うかもしれません。
でもこの「自我の消失」って別に自我が消えるってことじゃないんですよね。
実は、そもそも最初からないんです。
え?あると思ってたのになかった!っていうね。
そういう発見なんです。
まあ、発見というとまた「私」がそのことを発見すると思っちゃったりするわけですが、
そうじゃないんですけどね。
当たり前に、元々なかったことを誰でもない何かが発見する。
ってことなんですよねー。
でもこうも思ったりしません?
心理学では自我ってあることになってるよね?ってね。
そしてそれはその通りなんですよ。
心理学の世界では自我(エゴ)は定義づけられていて、
たとえば「自己同一性」や「意志決定の主体」なんて言われ方をします。
なので、
「ほら、学術的にも自我ってちゃんとあるって言ってるじゃん?」
って感じる方もいると思います。
だからないことの発見というよりは消失じゃん!ってねー。
でもそういうことじゃないんです。
というわけで今日は自我の消失のお話です。
野球の「ファーストベース」は本当に“ある”?
例えばなんですが、
野球にはファーストベースとかホームベースってありますよね。
ボールを打ったらファーストに走る、点が入ったらホームベースを踏んでホームインしますもんね。
ですので、
「ほら、みんながファーストベースに向かって走ってるんだから、ファーストベースは本当にあるでしょ!」
って感じるかもしれません。
確かにルールの中ではあることになってますもんねー。
でもそれって、そのルールを採用してプレイしている人たちの間でだけ通用する話ですよね。
つまり、ルールの中で「あることにしている」だけなんです。
ルールとか野球を知らなかったらただの白い板みたいなものですもんね。
そして僕らは初めてみた時はきっとそんなふうにみていたはずなんです。
実はこれ、自我も同じ構造です。
「私はこう思う」「私の意見」「私が選んだ」
こういう言葉は、まるで「自我」というものが実体としてあるように感じさせます。
でもそれは、ただ思考がそういうルール(構造)で流れてるだけなんです。
つまり、思考の中でだけ「自我というものをあることにしている」だけなんです。
「自我の消失」は、ホームベースが見えなくなることじゃない
ですので、自我の消失というのは、
普段の生活の中で「私」という感覚がごっそり抜けて、なんか私がいないまま生きるってことではありません。
そういうことじゃないんです。
ホームベースが視界から物理的に消えるわけじゃないのと同じように、
見た目や言葉づかいが変わるわけじゃないし、生活も今まで通りに続くんです。
別に急に常に微笑みながら、穏やかな話し方になるわけでもないですし、
なんか常に子供のように振る舞うような人格になるわけでもありません。
ただ、
「あ、これってあることにしてただけだったんだな」っていう当たり前のことに気づくだけなんです。
元々なかったことを知る。それが自我の消失なんです。
あったものがなくなるのではなく、最初からなかったとわかる
思考の中では「自我があるように見える」けど、それはそう見えているだけ。
架空のラベルなんです。
だから一所懸命、自我を消そうとしなくてもいいんです。
そして、「あー、まだ自我が残ってるわぁ〜」とか落ち込む必要もありません。
そう言ったものは単なる自我を消そうとゲームみたいなものですからね。
面白がってやるならいいですが、そこに別になんの意味もありません。
自我とは、思考の中にあるように見えていただけですのでね。
それって、ちゃんとみれば明らかなんです。
「自我の消失」という言葉がなんとなく怖く感じたり、難しく感じるかもしれません。
それは「今ある自分がなくなる」というイメージがあるからかもしれませんねー。
でも実際は、
「最初からなかったものが、なかったとわかる」
という、拍子抜けするくらいシンプルな話なんです。
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