Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

完璧にみえない景色もまたオツなものです

はじめに

どもども、
タクさんです。

「ぜーんぶ完璧なんです」なんていうじゃないですか。
そうなんだー。完璧なんだー。ってね。
そう聞いた時は思ったりもするけどやっぱり普段の実生活では
「いやいや、それはさすがに完璧とは言えなーい!」って思う場面。
しょっちゅうありますよねー。

というわけで、今日はこの「完璧」についてのお話です。

起こることは、ただ起こっては去っていく

みなさん、様々な人生を送られているかと思いますが
いくらできる限りの備えをしたり構えていたとしてもやっぱり思いがけないことが次々に起こるもんですよねぇ。

嬉しいことも、イラッとくることも、不安でモヤモヤする日も、何もない平凡な日も、全部セットで起こってきます。

これらはすべてが、「起こるべくして起こっている」んです。

この起こるべくして起こるっていうのは、
「運命」とか「誰かが仕組んだ」とか、そういう話じゃありません。
つい僕らは「意味があるはずだ」って思っちゃいますが、そもそもそんな意味の解明すら無意味なんです。

つい起こることに何かしらの評価や判断や因果関係の解明をしたがりますけどねー。
あらゆることはただ起きて、そして去っていくだけ。

余計な意味づけをしはじめるのは、だいたい思考ちゃんの仕事なんですよね。

「これは完璧じゃない」と思うことも、完璧?

たとえば、心がモヤモヤしてたりザワザワしてたりしてる時って、
「全然心が平静じゃないので、完璧なわけがない!」って感じちゃったりするじゃないですか。
だからこそ、なんとか平静を保とうとあれこれ模索しようとしちゃいますよね。

でもそれを含めて、まるっと完璧だったりするんです。

「いやいや、でもイライラしてるし」
「理不尽だし、納得いかないし」
「このままじゃ、絶対にダメだしヤバいし」

そういうふうに思うのも、そう感じることが湧いてくるのも、それでいいんです。
思考ちゃんが騒ぐのもまた完璧の中の一つの風景なんです

モヤモヤしてるのなら、それが今、ただ起こっている現れです。
そして、なんとかしなきゃいけないからその方法を見つけ出さなければならない!
って感じちゃうのもただの現れなんです。

そして、その方法を見つけるのは僕らではないんですよね。

理由がわからないと、
「これって疲れてるから?」
「天気のせい?」
「あの人の言葉が刺さったから?」って、
ついあれこれと理由を探しちゃいますけど、その「理由探し」も完璧な流れの一部として勝手におこっているわけですので、そこに身を乗り出して入り込まなくてもいいんです。

わからん時はわからんままにしておけばいいですし、
あ!と閃く何かがあればその時に乗っかってみればいいだけです。

いずれにしても、モヤモヤはただモヤモヤとして現れているだけなので、
そのまんまにしておいてあげたらいいんですよねー。

思考ちゃんが騒ぐのもまた完璧

でね、そう聞いたとしても今度は、
「あ!また思考に乗っかっちゃった。」とか
「こんなふうに思っちゃダメなんだよー。だって勝手に起こってるんだから〜」って自分の中で反省したり直そうとしたりして、あれこれと騒ぎ出すんですが、これだって勝手に実況してるだけなんです。
その実況もまた完璧の一部です。

なんでそうなった?
どうしたら防げる?
っていろいろと分析したくなっちゃうのも自然なんですけど、それもまた単に「起こっていること」ですのでね。

車窓から見える景色のようにただ観てればいいんですよね。
その景色は思っているよりずっといいものだったりするもんですよ。

完璧って、「意味がわかること」じゃないんです

「完璧」っていうと、ついスッキリ整った状態を想像しちゃうものですが、
これも勝手に思考ちゃんが条件づけたものに過ぎません。
実際の完璧さって、もっとゆるくて、もっと無造作で、もっと「なんの意味もない」感じなんです。

解釈もなく、ただ起こり、消えていく。
これはもう完璧としか言いようがありません。

それを「ちがーう!」って勝手に思考ちゃんが騒いでいるだけなんです。
そしてこれもまた一つの風物詩なんですよね〜。

 

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