Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

おまえはもう知っている!

はじめに

どもー!
おはようございます。
タクさんです。

さてみなさん。
「みなさんは大人でしょうか?」

あ、野暮な質問でしたね。
もちろん、みなさんは立派な大人にみえますが、
本当は大人のフリが上手になっただけですよねぇ?

偉い先生や偉い社長さんと言われている方もおられるかもしれませんが、
実際のところ、そう言った場所でそういうフリがこなれているだけですよね??

そしてそのことを、実はみーんな心のどこかでわかっていますよねぇ???

みなさんも子供の頃、不思議に思ったりしませんでしたか?
家では上半身裸で、テレビに悪態ばかりついている親父が、
フォーマルの場所ではやたらと紳士っぽく振る舞っていたり、

さっきまでガハハハと笑っていた母親が、電話に出た途端
声のトーンがものすごく上がって丁寧な言葉遣いに変身いることに。

そしてそんな僕らも、年を経るに従って、ちゃんと大人のふりが上手になったんだと思います。
もちろん、僕も、仕事の電話なんかでは
「お世話になっております〜!」と上手に機嫌良くいう技術に磨きをかけてまいりました。

電話でこんなことを言えるなんて僕も大人のフリマスターでございます。

そして、普段は意識はしないかもしれませんが、実はちゃんとこのフリのことってみんな気づいているんだと思うんです。

「ちゃんとした人」という演技

子どもの頃は、気に食わなければ泣くし、納得いかなければダダこねる。
嬉しければ全力で跳ね回っていたわけです。

それがいつのまにか
「泣いたらダメ」
「怒ったら子どもっぽい」
「ちゃんと社会に適応しなきゃ」

っていう「大人テンプレ」に合わせるのが上手になって、
それに合わせた「ちゃんとした人」を演じるようになり、
さらには、「ちゃんとした人」ができていたかどうか?を常にチェックするようになったりするわけです。

仮面をかぶる私、に気づいている私

もちろん、実際には「大人の私」も「子どもの私」いません。
そもそも「私」自体が思考が物語を紡ぐ上で作られたイメージに過ぎませんからねー。

そもそも、子供の頃は子供を演じてませんもんね。
※ま、子供も実はちゃんと子供を演じる場面もあったりするわけですが(笑)

でも「今、自分は仮面をかぶってるな」って、僕らは常にどこかで気づいてるんです。

誰かが気づいているわけではなく、単に気づいているんです。

子どもの仮面をかぶれってことでもない

この話は、別に大人のふりをやめて子供の頃のように自由になろう!
子供のように振る舞おう!ってな話ではありません。

それはそれで「子供っぽさ」という別の仮面にすぎませんもんねぇ。

ですので、別に
「仮面を外して自由になろうぜ!」ってことでもありません。

言いたいことは、
僕らって実は意識してないだけでつねにどこかで、
「仮面をかぶっていることに、気づいている。」ということです。
そしてこの「気づき」は誰かにではなく、シンプルに自然に起きているんです。

おまえはもう知っている!

思考はこれからも、
「こうならなきゃ」
「ああすべきだ」
「これはフリかも」ってなストーリーを元気に紡いでいくことでしょう。

そしてその奥では
これがフリであること気づいているわけです。

その「気づき」は誰かに起きているわけではないことも、すでに知っていて、
そんな「気づき」のさらに奥には、なんでもないシンプルな静けさがあるんです。

そして、それはいつもここにある。

それもあなたはすでに知っているんです。
だから、大人のふりをしていることにも気づけているわけです。