Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

変わらない日常が愛おしく感じるとき

はじめに

はーい。
タクさんです。
みなさん今日はご機嫌でしょうか?ご機嫌は斜めに傾いてますでしょうか?
たまに斜めに傾くご機嫌もまたいい味を醸し出してくれたりしますよね。

さて、僕らってついつい
何かしらに気づいたり、何かしらを習得したら、いわゆる人生のハードルを飛び越えてより良くなるって思い込んでたりしますよね。
だからこそ、いろんな情報を得たりスキルを習得したりしているわけです。

そしてこの流れで、非二元や悟りの話についても、

何かしらに気づいたら、心の重みもなくなって、深刻さが消えて、
人生がもっと軽く、自由になるんじゃなかろうか?ってね。

そんなふうに思ったりするものです。

そして、実際に何かしらの気づき?ちょっと言い方はズレてるかもしれませんが、そういったことが起こると、一瞬、心の奥底に溜まっていた何かがスコーンと抜け落ちるような感覚になることもあるんだけど、そんな時に
「よし!何かに気づいたぞ!これで深刻さから解放だ!」
って思ってウキウキしてたら、やっぱりしばらく経つと普通に普段の日常に一喜一憂してたりする。
思い通りにいかないことにイラついたり、どうにもならない不安をかんじたりして。
「あれ?何も変わらないじゃん!」
ってなったりするわけです。

今日はそんな「気づきが起きたはず?なのに、なんか生活は変わらない」っていう現象について、ちょっと語ってみたいと思います。

気づきは、生活を変えるためのものじゃない

僕らが望むのってやっぱり「人生を劇的に変える!」ってやつじゃないですか。
しかも良い方向に変えたいって思っちゃいますよね。
そしてこれはとっても自然な思いであり全然悪いことではありません。

ですが、このお話は「人生を劇的に変える魔法」ではないんですよね。

よくあるのが、
「悩まなくなる」「イライラしなくなる」みたいな変化を期待しちゃうケースなんだけど、
むしろそのあとも、眠いし、イラッともするし、落ち込むこともあります。

でもそのどれもが、「ちょっとだけ違って見えてくる」ことがあるんです。
厳密にいうと違って見えるというよりは、より正確に見えてくると言った方が近いかもしれません。

重みの正体

それは、「人生は自分で切り開いて、コントロールしなきゃいけない」という、
ずーっと信じてきた「重圧の存在」このからくりが見えてくるってことなんです。

「こうでなきゃダメ」
「これを達成しなきゃ」
「もっと成長しなきゃ」

そんな「人生を運転してる誰か」が、自分の中にいるような感覚ってありますよねぇ。
でも、ふとした瞬間、それが「ただの思考の流れだった」と気づくんです。
もちろん誰かが気づくわけじゃありません。
なんの判断も無しに見える感じです。

実は、自分は何もコントロールしてなかったんです。

そして重圧っていうのは、実際にはないものなんですがそれが重圧かのように感じていただけだったんです。

軽くなる方向性がちょっとズレてたかも?

良く僕らがやろうとするのは、
「思い通りにならないことを、どうにかして思い通りにしよう」だったり、
「そもそも“思い”を消し去って無心になろう」だったりするじゃないですか。

でも、実際に起きる軽さって、そういう「がんばってどうにかする」方向じゃなかったんですねー。

むしろ、「コントロールしなきゃ」という前提がふっと消えること。
“私”というドライバーが、そもそもいなかったんです。

それは、「頑張って運転しない」ってことでもなくて、
「最初から誰も運転してなかった」っていうことなんです。

僕らが重みだと思っていた感覚は、実際にどこにも重さがあるものじゃないんです。
運転してる誰かがいるわけでもなく、重たい何かが心にずしりときているわけでもない。
ただ、そういった解釈を事実であるかのように錯覚していただけだったんですよね。

変わらない日々が、ちょっと愛おしい

そしてこの錯覚を錯覚と知ることで、
表面的には何も変わってないのに、
その日々がなぜかちょっとだけ愛おしく感じられたりするんですよね。

今まで嫌で嫌で仕方がなかった重圧や重みやグレーな日常。
それが色を帯び、愛おしく感じられるんです。

自分が不器用に悩んでることも、
ついイライラしてしまうことも、
なにかを頑張ろうとしてる姿も、

それはただ起こっているだけで、
ただ起こっているだけなんだけど、
このドラマの中で笑ったり泣いたりしてる感じってなんかいいんですよね。

それは、「全部夢だからどうでもいい」じゃなくて、
夢だからこそ、今がちゃんと愛おしいんです。

気づきがあっても、日常は変わらないことも多いです。
でもそれは、何も起きていないわけじゃない。

むしろ、変えようとする必要すらなかったんです。

それが、変えようという思いからの解放です。

だから、もし「気づいたのにモヤモヤする自分」がいたとしても、大丈夫。

そのモヤモヤをそっと抱き寄せてあげてくださいね。

 

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